昨日は会社での出来事がフラッシュバックして寝付けず、一睡もできませんでした。
頭の芯がジンジンとする苦しみの中、出てきた言葉が「〇にたい、楽になりたい、誰か僕を〇してくれ」。
楽になりたい、もう嫌だ、解き放たれたい...そういう感じの言葉を吐くと、すっと胸が軽くなる感じを微かに感じました。

きっかけは会社での出来事だったのですが、深層に潜んでいたのはこれまでの"無理"だったのかもしれないと。
僕は休職を機に、夢を追う生き方にシフトしました。
本当に好きなことを実現したい。追い求めたい。

でも僕の本当の本当の夢(むしろ今真っ先に叶えたいこと?)は、「もうこれ以上頑張らなくてもいい生活を送ること」なのかもしれないと。
やっぱり僕は、これまで自分に無理を強いすぎてきて、もう心身ともに擦り切れているのかもしれない。
だから"まず"は、↑の「もうこれ以上頑張らなくてもいい生活」を自分にプレゼントしてやるべきなのかもしれない。
(要は自分を癒す、というステップを踏む必要がある、ということになるが、この1stステップの期間はもしかすると一生続くのかもしれない。だとすると怖くなる)。

でもその一方で、↑は完全な勘違い・思い違いで、単なる甘えなのかもしれない。
今の「夢を追う生き方」が多少しんどくとも、それは夢を追うのに最低限必要な犠牲であって、そこすらも避けるようでは夢など到底叶いっこない、ということなのかもしれない。

しかし1つだけ言えることは、冒頭の「〇にたい、楽になりたい」という僕の言葉は本音であること。
そしてその苦しみは、夢を追う生き方というこれまでにしたことがなかった生き方を強いたために生じた不協和音である可能性が高いということ。

夢を追う生き方って、こんなにも辛いものなのか?
どうなんでしょう。読者の方で、ご知見をお持ちの方いらっしゃれば教えてください。