僕は5月頭に休職してから9月下旬の今まで、4ヶ月超は学び一辺倒だった。
本を読めば読むほど新しい知識が入ってきて、とにかくその知識1つ1つが新鮮で、吸収したかった
1日1冊以上は本を読んだと思う。
そして僕はメモ帳にお気に入りのフレーズを落とし込むのだけど、そのメモ帳(250枚/冊)が計6冊目。
1ページ(片面使い)で平均5個のフレーズを書き込んだとすると、その数は累計 5個×250枚×6 = 7500個にのぼる。
我ながらすげぇ(?)と今思った。

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しかし最近、どうも学びの新鮮さが薄れてきたように思う。
本を読んでいる最中にも「学んだことをもっと本腰入れて実践したい」というように、実践への欲が強くなり、学習の最中の喜びがマスクされるようになってきた。

これまでも、学んだことを実践に落とし込みつつ、ここまでやってきた。
しかし学習にかける時間と熱意の方が大きく(時間にすると学習/実践≒7/3程度)、「本気を出してやってみた」とまではいかなかった。
こうした"つまみ食い"でもある程度の効果は見られたのだが、潜在意識に刷り込まれるまで習慣化するには至らず、自分を根本から変えるまでには至っていないと感じている。

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こういう時は素直に別の欲(今回で言えば実践への欲)に従うべし、というのも本で学んだ。
なので素直に従ってみようと思う(これぞ実践!)

僕は休職中、自分を立て直したい一心からストア哲学も読み込んだ。
ストア哲学では「宇宙のリズムの一部である心地よさを感じろ」という題が何度も提示されていた。
また運気学の本も齧ったが、運気にも幸運/不運の波があり、それは年単位という大きなスケールから、日単位、時間単位という小さなスケールまで何重にも折り重なっているものらしい。

僕たち生物は、こうしたダイナミクスの上に乗っかって生きている...らしい。

僕はこのダイナミクスの正体の1つは「興味の向く方向が変化する周期」ではないかと感じている。
今回の例では、最初の4ヶ月は学びに集中できたが、その後は実践へと興味が移りつつある。
多分この後も、何ヶ月かは学んだことの実践に熱中するが、次第に飽きてきて、もう一度本による学びの充電期にはいるか、もしくは学びの属性に近い別の何か(師事だったり内省だったり)に興味が偏るのではないかと推測する。

これまでは、このダイナミクスを意図的に封じてきたのだけど、今回は素直に従ってみようと思う。
多分だけど、こうすることで、同じところに留まりつづけて生じる"澱み"を流して綺麗にできるのではないかと思いを馳せている。