〇長年無理を重ねた結果、肝臓と腎臓が深刻なダメージを受けて走れない身体に
詳細は割愛するが、2週間前、かかりつけの医者から「これ以上無理を重ねると死ぬ」と宣告された。
どうやら肝臓と腎臓に深刻なダメージが来ているらしい、とのこと。
僕はこの医者に計5年ほどお世話になっていて、月1~2の頻度でメディカルチェックを受けていた。
医者いわく「この1年ほどは腎肝へのダメージの兆候が出たり消えたりしていたが、この1~2ヶ月で急激に進行したので、意を決して言う事にした」と。
今が自然治癒で何とかなる最後の段階で、これ以上進んでしまうと一生引きずるレベルまで進行する...とのことだった。
直接的な原因は、おそらく走る練習のし過ぎだと思われた。
2月に地元のローカル駅伝があり、会社の陸上部に貢献したい気持ちからつい練習量を引き上げ続けてしまった。
しかし練習のしんどさはいつまで経っても変わらず、最後の方は1日中「明日も練習か...」と憂鬱になって過ごす日々。
体重は夏から9kg落ちて51kg台になったし、極度のストレスで奥歯が終始痛み、(汚い話だが)常に脱肛していた。
↑の状態でまともに走れるわけもなく、本番の駅伝では、一般人にも負ける最悪の結果となってしまった。
しかしながら遠因は、長年積もりに積もった無理だと医者から言われた。
元々自分に無理を強く性格があり、自己抑制が強く、ストレスを内に押しとどめていた。
そのストレスが各臓器や神経系など各方面に悪影響を与え、取戻しのつかないところまで身体を痛めつけていた
そこに練習量を増やしたダメージが上乗せされて、今回の事態に至った。
そう、走る練習がいつまで経っても楽にならないのは当たり前だったのだ。
順応するエネルギーさえ満足に残っていないほど、今の僕は枯渇しきっていたのだ。
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なぜ僕はここまで無理を強い続けるようになってしまったのか。
それはひとえに、学生時代に培った人生戦略にあると考えている。
僕は昔から、何一つ取り柄のない子どもだった。
中学生になり、高校受験という形で「将来の進路」と最初に直面した時だった。
将来がとてつもなく不安になった僕は「何かを人一倍頑張ってその分野を人並にすることで、最低限生きていけるようにしよう」と決めた。
中学2年生の春、まだ暑くなる前の剣道部の薄暗い部室での決意だった。
何かの力を盾として、そこそこ良い会社に入り、最低限の暮らしを確保する。
そこから僕は、認められるために1つのことに専念するようになった。具体的には学力。
おかげで大学にも進学でき、今の会社に勤めることもでき、当初思い描いていた「最低限生きていける」は達成できた。
しかし人生の前半で培った人生戦略の思考は機能し続け、個人のパフォーマンス(スペック)の最大化に執着するようになった。
そのためには多少の無理は必須だと、自然と考えるまでになってしまった。
長年歪ませ続けた努力感への認知は捻じ曲がる一方で、今や「僕が考える『普通』=常識的な『やりすぎ』^2」にまでなっていた。
学生時代までは、↑の人生戦略でも、ある意味何とかなった。
比較的短い期限があり、そこまで頑張ればよかったからだ。
中学→高校→大学→社会人...と、各ステージを終えれば、そこでいったん(強制的に)リセットすることができた。
しかし社会人になると、ある意味エンドレスでずっと機能し続けなければならない。
これまでの「期限付きの努力」には「メンテナンス、機能維持」といった観点の重要度は低い。
100%の本気を出さないことは悪であり、手抜きをする≒サボリ、という考えが根底にある。
休んでいる時間があればその分何か努力して成長に直結させる。いわば長期的な健康を犠牲にしても目の前のパフォーマンスを稼ぎにいくのが善だった。
これを社会人でも続けていると、長期的に健康を回し続けられる土台が枯渇していき、いつか破綻する。
僕の場合、それが社会人9年~10年目の今だった。
メンテナンスを怠ったものは、何であっても必ず破綻する。機械しかり、土地しかり、人間しかり。
この自然の法則には誰も逆らえない。
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冒頭の医者の宣告を受けて、僕は「競争」の世界から足を洗うことにした。
今の僕に必要なのは、とにかく休むこと。
身体を鍛えても速く強くなるわけがない状態まで悪化している。
そして僕自身、もうこれまでのような無理をするモチベーションも枯れ果てていた。
いわば無期限休養に入ることにした。
これは仕事でもある意味同様で、無理をしてまでパフォーマンスアップをしようとは思えなくなったし出来なくなった。
前のように、昼休みも睡眠に充てずにバリバリ仕事をしていたころが懐かしく、戻りたい。
...今の僕が最も戸惑っているのが「これまでの善が悪になり、悪が善になる」ということだ。
社会人という長いステージを走り続けるには、僕が想像する2倍も3倍も「頑張らない」ことが重要だった。
これまで「手抜きだ」「真面目に仕事をしていない」と見下していた同僚の方が、
社会人というステージではむしろ「善」だったのだ。
今までの僕は、社会人になっても「頑張る=善、休む=悪」という風潮に従っていた。
ある意味今の世の中で推奨される価値観でもあり、頑張る=正しいが全てになっていた。
しかし今回身体を決定的なレベルまでぶち壊してしまった今になって、ようやく↑だけに陥る危うさを実感できた。
身体に関わらず心、そして周囲の環境を対象としたメンテナンス、も同様に大事だと。
特に研究開発では、1箇所に長年留まるケースが多いと思う。
そういった環境でずっと働き続けるには、周囲の環境のメンテナンスが必須だ。
人間関係を良好に保ち、きちんとモラル・マナーを守り、積極的に仕事のタネをまいていく。
そして↑を自分本位にならずにやり続けるには、心の健全さを保つことが必須だ。
今の僕は、心も身体も周囲の環境も、すべて機能不全に陥るまで壊しきってしまった。
この痛みを誰にも繰り返してほしくない。
少なくとも、このブログを読んでいる方々にだけは「無理は決してするな」と伝えたい。
ここまで読んでくださり感謝しかないが、僕の声が少しでも届いたならば、自分が無理だと感じないペースまで減速することを実践してみてほしい。
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