今僕は、工場での製品の生産性の改善について取り組んでいる。
設備導入して50年は経とうかという製造ライン、ここ最近は製品の収率が極端にブレてきて、予算作成時の値に到底届かない日々が続いていた。
製造側では対症療法としての条件変更(温度を上げたり圧力を上げたり)を続けていたが、ついに効かない段階に入ってしまい、研究に支援要請が来た...というわけだ。
(JTCでの研究職≒開発職≒エンジニアであり、こういった要請は当社では日常茶飯事だ)

ひとまずは研究と製造でやり取りをして、現場で出た歩留まり(未反応物など製品になりえなかった残存物)を分析した。
その結果、ある程度の道筋は見えてきたので、製造部と再度打ち合わせをすることになった。

その打ち合わせの場でのこと。
主に発現していたのは、研究サイドの「手を動かしてウン十年」のベテランのお方(以下『ベテラン氏』)。
「歩留まりにはゲル状の物質が多かった。だから原因はゲル状の物質で、その組成は○○の物質、対処法としては△△だろう!」と言い切っていた。
それを聞いた僕は「ああ、やはりベテランの勘所は凄いなぁ」と感服し、「僕もあんな風にならなきゃ...」と意気消沈した。

ただ、上記の打ち合わせの翌日、↑のベテラン氏と話をするうち、感服の思いは霧散した。
僕は「ゲル状の物質をどう分析するか」をずっと考えていて、実物を入手したくてベテラン氏に相談した。
しかし話が噛み合わない。
詳しく話を聞いてみると、「ゲル状の物質は、分析を担当する方々が低温のまま実験操作をしていた時に生じた」とのこと。

・ゲル状物質は加温(工場での操業温度と比べると遥かに低い)すると消えた。だからゲルの現物はない。
・過去に扱った○○の物質は、冷やすとゲル状になった。だから今回のゲルも○○の物質由来に違いない!

とのことだった。

僕はこの話を聞いて、正直憤慨した。

・原因を言い切るのなら、実際にゲル状の物質を分析してからではないのか。
・そもそも僅かな加温で完全に溶解するのであれば、収率ブレの原因ではないのではないか。
・そうした説明を一切なしに「原因は~、対策は~」と他部署に言うのは無責任ではないのか。
云々...。

一言で言うと、「その人の実験への姿勢、研究をするということへの姿勢」が、僕が思っていたよりも大したことなかったんだなぁ...と感じてしまったのだ。

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ここから得た学びは「僕は人の言うがまま、振舞うがままを信じ込みすぎていたのかもしれない」ということだ。
誰かが断定的に強い口調で物を言えば、「ああそうなんだ」と鵜呑みにし、なびいてしまう。
これは客観性が必要な研究開発、ひいては社会人生活において、マイナスに作用しうる。

そして精神衛生上もよくない。
誰かになびく≒その人のアレコレ(言い分だったり存在だったり目標としての姿だったり)に自分を預けてしまい、そこに向かわねばという強迫観念をつくりだす。
言うがままを信じる前に、一度実際に自分の目で確かめる必要があると痛感した。

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そして↑の反省を普遍的な形に展開すると、「実際にやっていることを見に行こう」になった。

「居室に籠るな。実験室へ足を運べ」
「自分一人の実験に集中するだけじゃなく、周囲の方々がやっていることにも目を向けよう」

↑は企業の研究開発で働く上で、誰もが意識した方がよい内容なのではないか、と手前味噌ながら思う。
なぜなら企業の研究はチームワークで、自分の実験を他人(たいていが、実験担当として採用されている作業員の方々)に委ねることは日常茶飯事だ。
そして作業員の方々は、ほとんどが現地採用、高卒の方々だ(少なくとも弊社では)。
僕の直属の上司曰く、「彼らは指示通りに動くがその意図まで汲むのは難しい。だから必要な操作以外は省くこともあるし、起こった事象を覚えていないこともザラだ」と。
なので密なコミュニケーションが必須...と。

この「密なコミュニケーション」を拡大すると、「実際にやっていることをじっくり見る」もその中に入るのでは、と今回痛感した。
僕は根っからの出不精で、デスクでの作業が三度の飯より好きなこともあり、居室に籠りっきりになりがちだ。
だから作業をしている方々が今日どのような操作をどのような感じで行っていたのか見る機会が無く(作ろうともせず)、彼らがしていること・彼らの手元で起こっていた事象を把握できていなかった。
口頭での報告内容だけを聞いて、「そんな結果だったんだ」と知っていた。

それではいけない、と思った。
きちんと実験の現場へ足を運び、自分自身の目でモノと人を見る。
これこそが今の自分には足りないことであり、ひいては今の世代に欠けている価値観なのではないかと。

...そして正直言うと、今回の出来事で気が楽になった。
これまでは、自身の社会不適合性に目が行くあまり、周囲の人間みなすべて自分よりも優れていると思いこみすぎて、半ば鬱になっていた。
しかしこれはある意味考えすぎではないか?と気づくことができた。
(↑の考えが合っているかは分からない。もしご意見ありましたらコメントください)。

僕自身、今の体たらくから浮上する努力をしつつ、もう少し自分を信じてみようと思う。