この前、こんな記事を書いた(過去記事)。
要は今の職場が合わないと感じていたところに知財部からスカウトが来て、知財部への異動に傾いた...という内容なのだけど、そこから色々と考えて、揺らぎに揺らいでいる。
考えている内容は「このまま知財部へ行くのは"逃げ"じゃないのか?」など様々な葛藤なのだけど、「今の研究の仕事のどこにやりがいを感じるのか?」ということも1つ。
考える中で、少なくとも僕個人の葛藤()よりは人の役に立ちそうな情報が見えてきたので、今回この記事をしたためた。
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知財か研究か。悩む中で思ったのは「研究にも捨てがたいやりがいが思った以上にあった」ということだ。
その中で何が一番僕を惹きつけてやまないかといえば「自分でコツコツ手を動かして得た結果を、文書化して周囲の人が理解できる形にまとめる」という行為そのものだった。
僕が今いる研究所では「研究資料」というシステムがある。
要は卒論修論と同じで、自分がやったテーマが一区切りした段階で、wordファイルに文書化してPDFとして保存・発行する...というものだ。
研究資料のPDFは社内システムで管理されているため、所員であればこれまでの研究資料を自由に閲覧することができる。
この資料が一番役立つのは、何といっても引継ぎの時だ。
企業の研究所では、異動や退職などで突然テーマを引き継ぐことがままある。
そう言ったとき、これまでの研究結果をひとまとめにパッケージングしている人はごく僅かで、大抵は各実験ごとのメモ書きExcelシートをぶつ切りに渡されるのがいいところだ。
よくいるのが「頭の中でメモを取っていた。結果は全部記憶しているが(異動/退職までに)書き起こす時間が無い」というパターンで、僕の周りでも引継ぎに四苦八苦している人ばかりだ。
そして、ひとたび異動/退職してしまうと、その人に質問するのは至難の業だ。
皮肉なことに、大抵は手を動かしてから疑問点が生じる。
しかしその答えが出せるほど引継ぎ資料は充実していない場合がほとんどで、その時点で途方に暮れてしまう。
...この時に研究資料があると、引き継ぐ先の人がその人の好きなタイミングで見返すことができる。
実験条件だったり実験の意図だったり、そう言った過去の設定は不変なので、こうした情報の固定化には意味がある。
僕は、この研究資料だけは欠かさず発行してきた。
僕も実際に自分のテーマを後輩に引き継ぐことになったのだけど、「研究資料を見て」の一言でだいたいは解決できたし、研究資料の充実ぶりにお礼を言われたこともある(手前味噌で申し訳ない)。
そして一番うれしかったのが、「○○さん(私)を見て、僕も研究資料を書くことに力を注ぐようにしました」とその後輩が言ってくれたことだった。
この瞬間、僕は「ああ、報われたんだな」と感じ、研究資料を書くことに新たなやりがいを覚えた。
要は、僕がこの研究所で人に報いることが出来る数少ない仕事の1つとして「研究資料を作って、それを読んでもらうこと」があったのだと思う。
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...↑をこの記事の主題にしても良かったのだけど、本当に僕がやりがいを感じている部分は、実は他にある。
それは「新しいことをやってみて、得た知見を文章にするプロセス」そのものの面白さだ。
新しい事はやり方が決まっておらず、常に手探りだ。
まずは自分で簡単な系を作ってみる。そして試運転してみて、結果が出てくる。
その結果を基に「じゃあ次はどうしたらいいか?」を考え、また系を組んで、試す。
出てきた結果は成功であれ失敗であれ、全てが自分の元に蓄積されていく。
ある程度手を動かし続けると、結果のカタマリが手元に積もっていく。
それを文章で紐づけて一本化していく作業が、僕はたまらなく好きなのだ。
「どういう風に書けば、分かりやすい形で一本化できるだろうか?」
「どういうレイアウトが一番かっこよく見えるだろうか?」
「写真と図をどのように作れば、読んでいる人の理解が深まるだろうか?」
こういったことを考え、時には追加でデータを収集し、現場まで写真を撮りに行く。
そうして得たものも、自分の中に蓄積されていく。
「研究資料を書く」と決めた瞬間から、その実験に関して僕が得るもので「無駄なモノ」は皆無になる。
おそらく、元来こうした文章を書くのが好きなことが由来しているのだろう。
「こうした文章」とは、このブログのように、自分が肌で触って感じたこと、実感を持って伝えられること、を伝えようとする文章だ。
自分が手を動かして1から積み上げた結果をまとめ上げることは、自分の体験と思考をそのままパッケージングすることになり、喜びを感じるのだろう...と思う。
(だから一回発行された研究資料については関心が無くなってしまう。上司の校正に出した段階でプッツリ切れてしまうのは何とかしたい(笑))。
夏休みの自由工作や自由研究を作り上げる面白さ...と言えば伝わるだろうか?
僕の中では↑の表現が一番しっくりくるのだけど。
この無上の喜びだけは、知財部では得られないと思う。
なぜなら知財部で扱うのは他人が創りあげた結果であり、自分自身ががこの手で出した結果ではないから。
...僕の持ち前の好みに強く依存したやりがいではあるが、これが僕が伝えられる「研究開発での一番のやりがい」である。
文章を書くのが好きな人、何かを作り上げるプロセスが好きな人、には少しばかり参考になるのでは...と手前味噌で締めくくることにする。
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