今朝、課長から「3代前の研究開発所長(今は関係会社の社長)が、『当研究所に来て若手社員向けに講演会をしたい』と言ってきたぞ!」と連絡を受けた。
3代前の所長は、僕が入社してからの半年間、当研究所の所長だった。
入社当時に「研究者とはどうあるべきか」を熱く語ってもらい、研究に対する熱い姿勢・話しぶりから滲み出る研究のセンスに感銘を受けた。
そして、実際に研究者としての姿勢を体現していて、現役時には現業に繋がっている数々の研究シーズを創り出した。
なので密かに憧れていたのだけど、今の研究所の上層部の反応は、僕とは大きく異なっていた。
課長いわく、「他の課の課長達は、声をそろえて猛反対していたぞ」と。
最も過激派の課長は「あんな奴に今の若手を合わせたくはない」と断言したとのこと。
これを聞いた時、僕は悲しい思いになった。
そして、これは研究者としての資質・素質がある人にある種共通の風当たりではないかと思った。
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当研究所の2代前の所長も、所内での評判は悪かった。
2代前の所長も、3代前と負けず劣らずの研究職資質で、目先の利益よりもシーズの創造に舵を切りがちな方だった。
この方も例に漏れず、現役時代は今の事業に直結している研究シーズを複数生み出していて、研究者としての腕は抜群だった。
僕はこの方に気に入ってもらえたのか、報告書にコメントを頂いたり、発表会で直接アドバイスを頂いたりすることが数あったが、
その助言のどれもが的確かつ盲点を突いたもので、「ああ、これが本物の研究者か」と驚嘆の連続だった。
しかしその所長が研究所を離れるや否や、同僚や上司が口をそろえて悪口を言うようになった。
「あいつがいたから~」「あいつの仕業で~」...。
確かに、変わったところは多い人だった。
やや挙動不審で、言いたいことはズバッと言う。
会議中での言動も、おそらく彼しか道筋が見えていないまま口にするので、周囲は訳が分からず茫然としていることもしばしばだった。
しかし「あの人は変わった言動しかしない」というフィルターを外して少し考えれば、その合理性には容易にたどり着く。
そんな発言をする人だった。
僕からすると、そういう発言を許容しない他の同僚や上司が"浅すぎる"だけだと思ってはいるが、なにせ僕も変人な(のは自覚している)ので、どちらが正しいか...は判断しかねる。
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僕は、研究者としての資質の悪いところだけを生まれ持っていると自覚している。
・協調性が皆無
・思うがままに突っ走る
・自分勝手、歯にもの着せぬ言動...。
これだけ揃っていながら閃きもセンスも何もないのだから、まさに典型的なポンコツ社員だ。
しかし部分的ながら研究者チックな資質なので、研究者として素晴らしい方々と引き合う部分はあったと思う。
なので、僕の主張は研究者資質の人(≒変わり者の人)を擁護する立場にあって、いわゆる"常識人"の立場とは異にする...のかもしれない。
(※ 研究者資質=悪いと言っているわけではないし、常識人が悪いという意味でもない)。
それを承知のうえであえて言わせてもらうと、「真の研究者は、JTCでの評判が悪い」のではないだろうか。
それはなぜか。
一番の要因は、企業の研究所が加速度的に合理主義・利益主義に走っているという点だと僕は思う。
少なくともこの研究所は、僕が入社してからの10年で、その雰囲気を大きく変えた。
・効率化を目指して残業が禁止され、これまで書かれていた研究をまとめたノートの類が全く見られなくなった。
・1年間の個人目標(CDP)には数値目標の明記が義務化され、「CDPのこの数値さえ達成できればいいや」という姿勢の若手が増えた。
・各課の上司が案件を絞るようになり、営業部からの依頼案件などは受けないことが増えた。
これらは全て効率化に繋がり、当研究所の売上への寄与率も増え、傍から見ればハッピーな部署...となった。
しかしこれらによって、この研究所は機械的な冷たさを増したように感じる。
言い換えるならば、研究を育む土壌・土台がやせ細り、長期的に見ると実りが少なくなりそうな感じがする。
そして「あれもやろう!」と自主的にテーマを立ち上げたり、アングラで仕事を進めるような人は、上層部からのウケは悪い。
あくまで言われたことをきちんとやる人のウケは良く、冒険心を表に出すと「やめておけ」とたしなめられる。
特に僕が所属している課は、上層部の顔色を伺うタイプの上司なので、尖ったことはほぼできない。
僕も初めは新規のテーマを立ち上げよう!と思っていたし、それが課の一大テーマにもなっていたため、張り切っていたのだが、蓋を開けてみると「手を付けているフリ、やったフリができれば、上層部へのアピールになるから十分」ということが分かり、やる気も萎えてしまった。
(こういう事が常態化すると、人は芯から腐っていく。それに関しては別途記事を書きたい)。
こうした背景から、僕は「真の研究者の素質を持った人は、JTCでの評判が悪くなるのでは」という仮説を抱くに至った。
JTCでは、上司の言うことを実直に聞いて実行し、周囲と足並みを揃えて動く「回れ右人材」が好まれる。
研究者はその対極に位置する。
自分の直感に従い、時には周囲の流れと逆方向に進み、とにかく突き詰めていく必要がある。
時に非効率的に、かつ自分勝手に動かなければ、真理も新規なものも掴めない。
そうした先に待っているのは、周囲の人のやっかみの眼差しだ。
研究者の悪い側面のみ突出した僕自身、やはりJTCは居心地が悪いと感じる。
良い側面も持ち合わせた本物の研究者であれば、風当たりは和らぐのだと思うが、それでも前述の所長の例を取ってみても、"普通の人"比では評判が悪くなりがちなのだと思う。
研究一筋でJTCに入りたい、という方は、少しばかり覚悟を決めておいた方がいいのかもしれない。
(特定を避けるため、一部数字などにフェイクが入っています。)
コメント
コメント一覧 (4)
弊社も効率化重視の会社の意向をもろに受けて育った中堅が会社を牽引しており、研究者としてあるべき姿を若手に教育できないベテランは会社に愛想をつかし、若手は効率重視の中で本来研究者としてあるべき探究心が育ちにくくなっているように思います。
研究者としてはやっかみで見られつつ、信じた道で結果を出して周りの見方を少しずつ変えていくしかないのでしょうかね。いばらのみちです。
コメントありがとうございます。当記事が自分1人の思い込みではないか...と不安だったので、共感のコメントを拝見し、正直ほっとした次第です。
当研究所も同じような状況で、若手で研究者の資質がある人は軒並み病んでいます。
私個人的には、周囲を変えようとするよりも、自分が動いた方が早い(しそうするしかない)と考えてはおります。
スライムさんお久しぶりです。いつも何度も読み返してはどこも同じ境遇なのかなと、どこかで安心しています。
私も「このままで、研究は⚪︎年後何をしていますか?」と噛み付く毎日です(面倒な嫌なやつだと思われてる笑)。でも、研究が1番先の未来を見ないといけないし、それは100%理解は得られないとも思います。
上層の方々は調査くらいのリソースは良くても、いざ実施する前にはリソースが無駄に〜と年々腰が重くなると感じてます。成功失敗にせよやり切る方が重要だと思うのですが難しいところです。
責任の比較的小さい中堅が、少しなら手をつけていいと諦められるところまで粘着して、そこからいかに早く上層が手のひらを返せる美味しいデータを出すかが勝負かなと(かなりカロリーをつかいますが)。
「優れたリーダーはみな小心者である」と言う本が、スライムさんの苦悩の参考になるかなと思い、おすすめします。私も好きな本です。
お久しぶりです!コメント頂けて嬉しいです。
(返信が遅くなり申し訳...)
上層部に噛みついているだけ素晴らしいと思います。
私は擦り切れてしまい、上に盾突く気力さえなくなってしまったので。
戦略についてはおっしゃる通りで、上層部が美味しそうだと感じる(必ずしも一流の味でなくともよい)データを出すかがキモなんですよね。
そうするにあたり、直属の上司の影響は特に大きいと感じますね。
今の上司はすごく良い方なのですが、チームの円滑な運営と自身の仕事欲に着目するあまり、上との摩擦を一番嫌う質でして...それが私と相性が合わないのだとも感じております。
本の推薦もありがとうございます。折を見て、読んでみますね!
こんな何の役にも立たないブログですが、今後もよろしくお願いいたします。