この秋、僕は"陸上競技者"としての生活に終止符を打った。
思い返せば、社会人で新卒から丸9年、学生時代は高1から院M2までの9年間、計18年と半年、(実力はともかく形だけは)競技者として走り続けてきた。
陸上を第一に考え、他は支障があるようであれば躊躇なく切り捨てる。
そんな生活をやめることにした。
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理由は大きく2つある。
まずは「心も身体もすり減りきって、これ以上今の生活を続けられなくなった」から。
元々、僕は練習量を積みすぎるタイプだった。
学生時代に練習量で伸びた(詳しくは語弊がある)のが成功体験となったのが1つ。
そして社会人になって何か生きがいを見つけようともがく中、練習自体の魔力に魅入られてしまった。
練習自体が持つ爽快感、終わった後の達成感、そして猛練習後に食う飯の美味さ、身体が勝手に絞れていく嬉しさ...。
これらを社会人生活におけるほぼ唯一の楽しみとして据えてしまったのがもう1つだ。
この2つが相まって、ここ数ヶ月の僕は常軌を逸する練習狂いになっていた。
例を挙げると(僕は短距離専攻)、
① 早朝に走り込み(2時間弱、60m×7×2、40m×8×3、150m×3×3など+筋トレ)
② 出社~朝会までの空き時間にジャンプトレ
③ 会社の休憩時間に各30分の自重トレ×2(午前1回、午後1回)
④ 平日に1回は↑+帰宅後にウエイトトレ(1時間)
↑を平日2~3回、それ以外の日も②③は欠かさずやったので週5。
加えて休日は①相当の走り込みを朝と午後の2回+④。
今だから「練習狂い」などと言えるが、当時は「これで普通」の感覚だった。
加えて、今年の夏の猛暑。このパンチで明らかに僕の心身は削れて、弱く脆くなっていった。
2つ目の理由は、「陸上=僕のライフワークではない、と心の奥底では常に感じていた」から。
最初に↑を感じたのは、大学4年生の引退試合の後。
当時は念願だった800m1分台を達成し、僕の陸上人生のピークだった。
その時に、不意に「じゃあこの次はどうするの?」という問いが生まれ、僕は本能的に「えっ、まだ記録を狙わないといけないの?」と戸惑った。
しかし当時の僕は、陸上に全振りしていて視野が狭く、陸上をしない人生が想像できなかった。
「今の陸上の楽しさが今後もずっと続くだろう」と思い、将来をろくに考えもせず、そのまま陸上全振りの生活に戻ってしまった。
しかし心の奥底に芽生えた微かな違和感は、度々顔を出しては僕に問いかけてきた。
今も覚えているのが、陸上部で1つ下だった後輩が、学会の主催者となってインタビューを受けた記事を読んだ時だ。
僕は大学院でも陸上を続けていたが、走るシンドさと苦痛が心底嫌で、「苦しまないで走ろう」などと逃げの選択をしていた。
そんな時に後輩の活躍を見て、「僕もこんな風に、今のフィールド=研究に見合った形で頑張りたい」という思いが湧きだしてきた。
ただ、当時の僕はこの声を「陸上から集中を逸らす障害」とみなし、この心の叫びに蓋をしてしまった。
以後、こうした心の声を封印し、見てみぬふりをしながら、陸上にのめり込もうと必死になっていった。
社会人になっても、相変わらず↑の姿勢は続いた。
しかし、記録は低迷する一方。
そして、練習に対する苦痛は日々の憂鬱となって僕を襲った。
何とか次の練習をこなそうとして、練習以外の時間を回復につぎ込むようになった。
具体的には、私生活は遊びの類を一切せず、ひたすら家に籠って心身を回復させた。
そんなこんなでも、33歳までは、何とか陸上競技にも楽しさを見出して、続けてくることが出来た。
しかし、前述した理由1(心身のすり減り)が、34歳になった今年になって急激に進行し、弱った心身では心の本音の封印が保てなくなってきた。
そしてある時、「僕がこの人生をかけて達成したいことは何だろう?」と自分に問いかける機会が生まれ、その問いに向き合った結果、「少なくとも陸上競技で記録を出すことではない」という結論に至り、競技者としての生活から足を洗うことにした。というわけだ。
僕はこれからも走り続けたいが、走ること、陸上の試合に出ることそのものを楽しみたい。
記録が伸びなくてもいいから、楽しく(少なくとも憂鬱になることがなく)継続できる練習をしたい。
それが僕の「脱競技者」であり、これからのスタイルにしていきたい。
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...長々となってしまったが、今回僕がこの記事を書いた目的は、「心が折れた果てに本音に立ち返ることができた」というこの経験が、仕事で苦しんでいる人にも当てはまるのでは?(そしてそういう人への一助となり得るのではないか?)と考えたからだ。
おこがましいことこの上ないのは承知だが、以下に僕の気づきを列挙しようと思う。
まず、今回僕の心が折れた要因は2つある。
① 常人が「やめとけ」と止めるのを無視して、無理がありすぎる計画を立てた。
② 心身の疲れをゴリ押しして↑を継続しようとした。
いずれも先に書いた理由1に至った過程だ。
先に書いた「練習狂い」の内容を、リアルでもSNSでも人に話していたのだけど、聞いた人は一様に「やめとけ」と忠告してくれた。
ただ、元々運動狂いの気があり、さらに疲労が泥壁のように塗り重ねられた状態ではまともに考えることができなくなり、運動強迫も併発した僕は、その忠告に従うことができなかった。
(実は忠告に従えたこともあったのだけど、僕が『このくらいなら軽めの練習だろう』と思った内容が実は120%の量だった)
とっくに限界のゲージを振り切れた疲労は、運動の爽快感により麻薬的に和らぐ。
心も身体もすり減りきるまで疲労してなお(疲労していたから)、「今日だけは頑張ろう」を繰り返し、よりキツイ方向へ練習内容を誘導した。
その結果、僕は破綻した。
ここから得た気づきは、「普通の人が無理、と思う量を最初からやろうとするな」であり、もっと遡ると、「新しいことをやろうとするときは、まずは常識的な=まともな考えができるようになるまで心身を休めろ」である。
今回僕は、疲労が溜まりすぎると心の視野が狭くなってしまい、同じ過ちを繰り返すしかなくなる...ということを痛感した。
これは本当に恐ろしくて、過労死にも通じるものがあると強く感じている。
(僕が今回抜け出せたのは本当にたまたまで、種々の要因が絡んでいる。それについてはまた後日述べる)。
なのでまずは、「十分にリフレッシュしてから、次の歩みを進める」ことを強く勧めたい。
そして、僕の心が折れた先に見いだせたものは以下の3つだ。
① 封印して聞こえなくなっていた心の本音を再確認できた。
② これ以上なく骨身に沁みたので、①を素直に受け入れることができた。
③ ずっと抱いていた違和感と憂鬱が消え、将来にワクワクできるようになった。
これはいずれも先に書いた理由2に関することだ。
僕の場合、心身ともに限界を超えて擦り切れたことで、心に施した蓋がようやく外れるようになってくれた。
僕は幼少期~小学校にかけて、母親のヒステリーで相当な抑圧を受け、それが心の蓋をしやすい性格を形作ってしまった。
こうした人は現代では特に多いのではないかと、昨今のニュースやSNSを見ていると思う。
僕は今回、痩せたいとか美味い飯を食いたいとか記録を出したいとか、あらゆる拘りがどうでもよくなってそれらを手放した。
しかし実際は、もっと前から手放したかったが、怖くて踏み出せなかった。
そして手放した今、僕はちっとも後悔していないし、恐れていたこと(ご飯がまずくなる、記録が落ちる...)は全く起こっていない。
(これから先は起こるかもしれないが、それも含めて人生だ、といい意味で開き直れている)
なので、今何かに我慢している人には、その何かが自分で決めたマイルールに由来していないか確認してほしい。
おそらくは、何かのマイルールに必ず紐づいているはずで、そのルールは手放しても何ともないと、まずは自覚してほしい。
自覚が染み渡るには相応の時間が必要で、マイルールに束縛された期間が長いほど、浸透にも時間がかかると感じている。
(僕の場合、カウンセリングを始めて4年必要だった。月1~2回、1~3時間、1時間5000円。総額は...考えたくもない(笑))
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僕は、心が折れてよかったと感じているし、今回の経験は自分を豊かにしてくれたと思う。
ただ、大きな損失を被ったのは事実だし、歩む過程で様々な人を傷つけた。
だから、せめてもの恩返しに、この経験を他の人とも共有して、誰かの助けとしたい。
おこがましいことこの上ないが、今の自分の率直な思いである。
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