僕が1月付で異動した部署は、前部署よりも研究テーマの数が少ない。
なので、忙しい時は忙しいが、テーマがひと段落して相手待ち...などという時はとことん暇になる。
今が正にそのタイミングで、僕はこの暇な時間が大嫌いで大の苦手だ。
僕は目の前にやる事があると、それに全力投球できる。
中高6年間の受験勉強を通して、自分をそのように最適化してきたからだ。
受験勉強でいい結果を出すには、脇道に逸れることは全力で避けなければならない。
僕は元々ちょっとしたことが気になって図鑑や辞書などを手に取るタイプだったのだが、受験勉強に最適化する過程で、そうした「ちょっとした興味関心」をかなぐり捨ててきた。
こうして僕は、受験勉強を通して自らの興味関心を殺してきたのだ。
目の前に全力投球しかない、ということは、言い換えると明確な課題がなければ身動きが取れない、ということだと、社会人になってようやく気付いた。
大学時代はまだよかった。
陸上競技という明確な「やること」があり、受験勉強での成績は「競技での記録」という数値目標に置き換わったからだ。
しかし社会人になると、自分自身で課題を決めて実行せねばならない局面があることに気づいた。
そして、研究開発は特にその局面が多い部署だということも。
他部署の同期と話しても、「やる事が常にいっぱい」「朝から晩まで馬車馬のように働いてるよ」という話ばかりで、僕のように「暇が苦しい」という人は、同じ研究開発(拠点は違うが)の同期だけだった。
そうした数少ない同志に「そんな暇な時は何してる?」と聞くと、たいていが「忙しくて読めなかった論文を読んでる」とか「面白そうと温めてた実験をしてる」など実に模範的な答えが返ってきて、絶句した。
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僕はそうした「普段忙しくてできなかったこと」を暇な時間にすることができない。
正確に言うと、普段忙しくてできなかったことに着手すること自体に、ものすごい精神エネルギーを消費して疲弊する。
目の前にある課題がどんなに困難で大量でも、明確な形で提示されてくれた方が、正直100倍マシだ。
余談だが、「じゃあ暇な時に何をしているの?」というと、その時々で「やらなければいけないこと」を何とか捻りだしている。
例えば今は小集団活動。
最低限で済まそうと思えばいくらでも手を抜けるのだけど、わざと複雑難解にして作業量を稼いでいる節がある。
こうしたことは「無駄な仕事を増やす行為」の代表的なもので、僕は唾棄しているのだけど、こうでもしないとサボってしまいそうで、机上に自分を縛り付けるためにしぶしぶ取り組んでいるのが現状だ。
そしてこの行為は自分への背信行為でもあり、また作業をこねくり回すのにも精神を使うため、すごくシンドイ。
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こうした経験をもとに僕が感じているのは、「企業の研究職で必要なのは、暇な時に自由テーマに取り組むことができるほんの少しの興味関心ではないか」ということだ。
前述の通り、研究は他部署と比べて比較的暇な時間が流れやすいところだ(と少なくとも僕は認識している)。
この"暇"を利用できるか流されるかで、その人がその会社に与えられる価値は大きく変わってくる。
ある意味研究の神髄ともいえる部分で、少なくとも僕にはその適性はない...と半ば諦めている。
どうかこのブログを読んでいる方々は、自分が持つ好奇心を殺さず、大切に育んでほしいと思う。
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