この1週間、僕はぶっ倒れていた。
理由はアホらしいが、趣味(のはず)の陸上競技で、練習を頑張りすぎたからだ。
2か月前に「これまでの自分とはケリをつける」と宣言した(記事はこちら)。
そこから最初の1ヶ月は、「やりすぎないようにしよう」と恐る恐るで、やりすぎ基調な僕にとっては良い感じに進められていた。
しかし次の1ヶ月からは、「これをすれば伸びる」「これをすれば速くなる」といったSNS上の情報に心を奪われ、あれもこれもと足し算でやることをどんどん付け足してしまった。
しかもその内容が「腕立てを潰れるまで×10set」や「休養日にジョグを25分」など、30代で回復力が落ちている僕にとっては明らかにキャパオーバーになる内容だった。
...それらのキャパオーバー練を盛り込んで、丸1ヶ月走り通してしまった。
気づけば週6日で練習し、練習の回数は1日4回(早朝、出社時、午後、帰宅後)。しかも1回1回意識を張り巡らせて全集中。
100%どころか120%を出す日々が続き、目に見えて疲労がたまってきた。
最後の1週間は感覚が疲労感しかなく、起きるのも憂鬱で仕方がなく、疲労が凄すぎて痛みも痒みも感じられなかった。
そして僕はぶっ壊れた。
持病の関係で通っている医者からは「これ以上走ったら死ぬかも(意訳)」と言われ、ドクターストップをかけられる羽目に。
丸1週間、10時間寝て運動を控えた結果、ようやく疲労感が取れてきた。
「三十路を超えた社会人が100%で走り通すと、わずか1ヶ月でここまでガッタガタになるんだ」と痛感した。
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僕は陸上競技はやりすぎる傾向にあるが、その分(?)仕事はサボり基調だ。
(自慢できることではないが、今回の記事の趣旨では"いいこと"かもしれないので、あえて曝す)。
やる事を最低限こなすことを第1の目標とし、それが終わったら適度に時間を潰す。
ネットの海を徘徊するのが好きなので、新規用途探索などは半分息抜きも兼ねているが、出力で言えば概ね60%程度しか出していない。
以前は罪悪感を覚えていたが、最近は「これが自分の働き方なんだ」と半分開き直っている。
(給料泥棒であることは承知している。その批判があれば甘んじてお受けします)。
しかし今回ぶっ倒れてしまった出来事を通じて、「逆にこの低出力こそが、これまで僕がR&Dを続けることができた理由なんじゃないか?」とふと思った。
入社当時の僕は、それこそ出力90%レベルだった。
初体験の研究対象だったため、大学の専門書をamazonで自費購入し、休日はほぼ丸1日勉強していた。
他にも学会に自費で登録して論文を取り寄せたり、仕事術を業務に取り入れて反省メモを毎日取っていたり。
今思い返しても「なぜそこまでやれた?」と思うくらい、毎日が高出力だった。
(陸上は当時からやっていたので、それも含めて出力は100%ではなかったのだと思う。それが逆に良かった)。
眠さをコーヒーでぶち破る日々が続き、2~3年で体重は10kg弱落ちた。
ただし↑の出力は、持病の発症や上司の苦言をきっかけに、だんだんと下がっていった。
持病については割愛するが、入社4年目に発症。
上司の苦言に関しては、当時の上司が人情タイプの方で、知識に没入する自分に「もっとコミュニケーションを取れ」と何度も苦言くださった。
しかし当時はその意味を理解できるほど成熟しておらず、「個性を理解してくれないんだ」と拗ねてしまい、
「認めてくれないのなら、もうサボっちゃえ」と自暴自棄になり、勉強も自己研鑽も全て放り出してしまった。
その結果、入社当時の出力90%から、今の出力60%(もしかするとそれより低いかもしれない)に低空飛行してしまった...というわけだ。
しかしふと思ったのは「当時の90%の出力を続けていたら、どうなっていたのだろう」ということ。
そして即座に「ああ、研究辞めてたな」と直感した。
入社数年で10kg弱痩せたのは前述の通り。
その他にも、やればやるほどやる事が見つかり、その穴埋めにいっぱいいっぱいで仕事を楽しむ余裕がなかった。
働けば働くほど「なんでこんなに仕事があるんだ」「なんでこんなに給料が安いんだ」と不平不満が噴出し、ストレスが加速度的に増えていった。
その逆で、今は↑の不平不満を感じることは皆無だ。
やる事が一気に降りかかってくるときは確かにあるが、それも「こんな僕に仕事が与えられて有難い」と感じることが大多数だし、給料に関しても「こんなサボリ野郎にこんな金額を与えてくれて有難い」と感じる。
給料なんかは「こんな僕がこんなに頂いていいのか?」と申し訳ない気持ちが先立ち「もっと頑張ろう」と思える。
(思うだけで実際の出力は上がってないかもしれないが、違う試みをしてみようと思える。なので同じ出力60%でも、その質は変わっている)。
なので「R&Dをここまで続けられたのは、出力60%の自分でいることができたからじゃないか?」と思い至った。
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昔の格言「細く長く」とは言い得て妙だと思った。
出力60%という細さだったからこそ、今まで続けてくることができた。
逆に出力100%だと、僅か1ヶ月でズタボロになってしまった(使ったのが頭脳なのか肉体なのかという違いはあれど)。
そしてこの「細く」の感覚は、自分が思っている以上に出し惜しみするくらいで丁度いいのだとも、今回の気づきから学んだ。
端的に表現すると、「やろうと思ったらもっとできるんじゃないか?」と罪悪感を覚えるレベルが、ある意味適切な「細さ」なのだと。
最大瞬間風速ではなく、生き残りを第一に選択するのも1つの生き方だ。
僕はどっちらかというと後者で、とにかく続けること、とにかく生き残ることを取りたい。
僕みたいな生き方を望む方々にとって、「細さ」は武器になりえると思う。
この記事が一助になれば幸いである。
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