ここに陸上のことを書くのはずいぶんと久しぶり、もしかすると初めてかもしれない。
先週、陸上の試合に出場してきた。
種目は100mと110mハードル。本命は110mハードルだった。
この種目は、高さ1m強のハードルを10台跳び越えなければならず、ハードルはとても重い。
そのため中途半端な速度では当たり負けしてしまう。
当たり負けすると、良くて転倒、最悪の場合は完走できなくなってしまう。
僕はこの種目に前々から(約7年間)憧れを抱いていたが、筋力も走力も柔軟性も人一倍必要であり、何度も諦めてきた。
しかし今回は、練習で確かな手ごたえを感じていた。
練習では、フレキハードルという柔らかくて当たり負けしないハードルを自前で2台購入し、近所の空き地でひたすら跳んだ。
この練習では、本番と同じ高さ(用語でハイハードル、という)を引っかけることなく跳ぶことができ、自信につながった。
「あれ?ここまで跳べるなら、本番も完走できるんじゃないか?」と思うようになり、思い切って試合にエントリー。
目標は完走に置き、そのために絶対に引っかからないという戦略でひたすら練習した。
だが本番は想像の10倍は過酷だった。
3台目以降はほぼ全てのハードルに足を引っかけて転倒。
頭も強く打ち付けたし、スネもハードルでずる剥けになった。
何度も足が止まったが、なんとかゴールまでたどり着く。
しかし審判の結果、ハードルへの足の引っかけが「ハードルを十分に跳び越えていなかった」と判断され、失格扱いとなった。
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正直、試合前の数日は、出るのが怖くて仕方がなかった。
あれこれ理由を付けて棄権を何度も考えたし、前日は過呼吸になって一人悶えていた。
陸上関連の知り合いには愚痴も弱音もこぼしにこぼした。それでも最後は出ることに決めた。
なぜここまでして出ようとしたのか。
理由は「これまでの自分にケリをつけるため」だった。
僕はこれまで空いた時間と労力のほぼ全てを陸上の練習に費やしてきた。
週5で2部練が当たり前。
朝に2時間練習して出社→帰ってからまた1~2時間ほどウエイトしたり走ったり。
会社の休み時間も、腕立てや腹筋などの補強運動で追い込んでいた。
また、週2日設けた疲労抜きの日も、何だかんだで補強運動をしたり走ったりしていたので、それを練習にカウントするなら週7。
少なくともこの冬季は、↑の週7が当たり前になっていた。
この練習頻度は異常だ。
これより少し前、1日1部練×週5日でも、大学同期のスプリンター(100m10秒6)曰く「俺の50倍やってる」とのこと。
それよりも量が増え、練習量だけで言えば誰よりもやっていたと思う。
しかし、短距離走は走れば走るほど速くなるわけではない。
筋肉と神経に過負荷がかかる分、十分に回復させて次の練習に臨まなければならない。
この原則を僕は一切無視していた。
言い換えると僕は「速くなるために本当に必要なこと」から目を背け続けてきた。
僕は練習中毒だと、身体を診てもらっている先生に指摘されていた。
「今のままじゃ一生足は速くならんで」と、ずっと言われていた。
これまで無理に無理を重ねてきた体を治すには、少なくとも年単位の休息が必要だとも。
でも僕は、目先の達成感と充実感を得るために、練習し続けた。
ここでいう達成感と充実感とは、大きく分けて以下の3点になる。
・細くてバキバキの身体を維持したい。
・お腹を空かせて美味しいご飯を食べたい。
・頭の切れを良くしたい。
・鈍足な分、せめて練習量だけは「すごい」と思われたい。
お気づきの通り、↑には「速く走るために何でもする」という観点が欠如している。
...さっきも言ったように、僕は足を速くするために受け入れるべき苦痛から逃げ続けてきた。
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しかしこんな僕も、ようやく「自分を変えたい。もっと真剣に足の速さを追求したい」と思えるようになってきた。
その原因は、「社会人スプリンターのすごい方々を見て、自分もそうなりたくなったから」だ。
ここではお名前は伏せるが、僕の憧れの方は2人いる。
どちらの方々も全国クラス(40歳で100m10秒台)という伝説級のお方。
どちらの方ともtwitterで知り合い、1人とは直接お会いしてお話させていただいた。
このお二方に共通するのは「取り組みは腹八分目」だということだ。
一方のお方は練習が坂ダッシュのみ、もう一方も家事仕事の片手間に、近所の港で走るだけ。
どちらも練習時間は長くて1時間、週2~3回がベースとのこと。
これだけしか時間を投下していないから、ご家庭も持ち私生活も充実していて、しかも陸上そのものを楽しんでいる。
僕は違った。
「才能がないなら練習量で追いつくしかない」と思い込み、何とかして時間を捻出し、そのすべてを練習に投下してきた。
僕にとって練習は「嫌だけどやりたくないもの」でしかなく、レースも嫌いで、陸上を楽しむとは程遠かった。
最近は練習も本当にしんどくて、毎日「やめたい」と思いながら惰性でこなしていた。
慢性疲労で毎日頭が痛くて仕方がなくて、仕事ももっと本気を出したいのに2部練のために力をセーブする日々。
冗談ではなく、何のために生きているのか分からなくなってきた。
こんな自分から脱却して、憧れの方々に少しでも近づきたい。
そう思い、ケリをつける儀式として、試合に出場した次第である。
今後はひとまず当面は、自分を縛り付けていた義務から自身を解放して、深手を負った心身をたゆたわせて休ませたいと思う。
それができたら、また一から練習プランを組みなおし、週2~3の頻度に落ち着かせたいと思う。
僕がやるべきことは「全力で休む」。
さあ、やるぞ。
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