前回、こんな記事を書いた。
内容をざっくり纏めると「凡人こそ、人よりも手数を稼ぐことで勝負しろ」というもの。
この記事の中で「キャパの範囲内で(手数を稼げ)」と書いた。
今回はこの「キャパ」について紹介しようと思う。

僕は「1バッジでも多く反応をかける」という志(?)を胸に、空き時間は全て反応に費やすということを3ヶ月間続けた。
その結果は以下の通りだ。

最初の1ヶ月は、実験数が増えてデータも得られ、前進している高揚感でサクサク仕事が進んだ。
多少無理した反動で眠気と疲労感は感じていたが、俺Tueeeeee!!!!状態になっていて、疲労感がマスクされていた。

しかし1ヶ月を超えたあたりから、思い通りに事が運ばなくなってきた。
まず、実験をするのがダルくなってきた。
パラメータを細かく振ってデータを回収するので、基本的には同じ機器で同じ操作。
マンネリ感が次第に色濃くなり、当初の高揚感が急速に薄れていった。

そして溜まったデータの処理にも追われるようになった。
当たり前だがデータが貯まると色んな傾向が見えてくる。
その考察に時間を割かねばならなかったが、実験を回すのに手いっぱいでデータを消化できず。
加えて、当研究所では反応の記録をPDF化して保存しなければならないが、その手間(手書きの反応記録をコピー機でPDF化→専用ソフトを使ってファイルをサルベージ→保存)も重荷になった。

疲労が目に見えて蓄積した結果、実験のエラーを頻発させてしまった。
一番ひどいときは、フラスコを突沸させたまま放置させてしまい、気づかぬうちに同僚が後片付けしてくれた。
この時、周りの人に大きな迷惑をかけてしまった事に頭を殴られたような衝撃を受け、
もう二度とこんなことは引き起こしたくないと感じ、無茶な反応スケジュールは組まないようにした。
この失敗を引き起こしたのが、「1バッジでも多く反応をかける」試みを始めて3ヶ月後だった。

こんな経緯があって、今の僕は「自分のキャパを超えていないか?」を強く気にするようになった。
また、同僚や友人を見た時も「彼ら自身のキャパの中に納まっているか」を第一に気に掛けるようになった。

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キャパオーバーは周囲の人も不幸にする。

前述の僕の例では、同僚に実験のエラーの後片付けをさせてしまった。
他にも、同僚に話しかけられた時も疲労感が強すぎてまともな対応ができなくなり、相手に不快な思いをさせてしまった。
(↑に関しては推測でしかないが、多分相当数の人が心の中で僕を殴っていたと思う)。

また、周囲の人のキャパを気にするようになってから、キャパオーバーした人の悪影響も肌で感じるようになってきた。
僕の上司で、機嫌に左右されやすい方がいるのだけど、その人がキャパオーバーした時はすごく分かりやすい。
同僚は気を遣って何も言わなくなるし、その人自身から放たれる負のオーラが凄まじい。

イライラは自分が思っている以上に他人に伝わる。
そのことを僕は身をもって学んでいる。
そして周囲の人がまず第一に評価するのは「その人と働きやすいか/過ごしやすいか」であり、≒で「その人がイライラを振りまいていないか」なのだとも。
仕事をする上で大切な事項を順序だてたピラミッドがあるとするならば、最も大切な土台は「その人との働きやすさ≒人間性」であり、「仕事がデキるかどうか」ではないのだ。

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僕の経験上、自分のキャパは訓練である程度までは広がるが、一定以上のレベルにはならない。
そしてキャパの絶対量は、人によって大きな差はないとも感じている。

自分のキャパが小さいんじゃないかと不安な人にとって、↑は1つの安心材料になると思う。
これも僕のn=1の経験則に過ぎないが、キャパの見た目が常人の2倍はありそうなエリートでも、実は余力を全て仕事に回しているだけだったりする。
もしくは健康を削ってキャパのブーストに回しているか。
そのような不健康なやり方では、いずれ僕のように破綻が来る。

大事なのは、自分のキャパはここまでだと見切りをつけて、捨てる勇気を持つことだと思う。
今の僕はかつての自分の2/3程度まで作業量を落としたが、それでも以前と変わらない程度の生産性は維持できている。
筋トレでいうところの3RIR(あと3回できるところで止める)くらいの肌感覚がちょうどいいんじゃないかと僕は提案する。