僕は今年度の丸1年、業務の1つとして「新規用途探索」を勤めてきた。
内容としては、手持ちの技術を展開できる新たなフィールドを見つけ出したり、進出したいフィールドに当社製品を合わせ込んだり...。
とにかくPCと文献を触る頻度と量が、入社以来一番多かった年度だった。
その中で気づいたことがあるので、いつも通りの駄文ながらつらつらと書いていきたい。
何に気づいたのか。
一言で言うと「役に立つ調査と無駄骨な調査の違い」だ。
やった調査が単なる遊び(と周囲に思われる)かどうかの境目、と言い換えてもよい。
...SNSやブログ等を見ていると、研究開発における調査の位置づけは、どこか「高等遊民の気まぐれ仕事」的な印象を受ける。
少なくとも当社の研究開発においては、サンプル施策や現場対応など、とにかく手と足を動かしてこそ仕事、的な側面があり、腰を据えて沈思黙考...はあまり好まれない(と僕のかつての上司は嘆いていた)。
↑の印象は、僕自身が実際に調査業務に従事するようになって、一層強くなった。
調査をしている僕自身が「これって仕事になるのか...?」と居心地悪い思いをすることが増え、罪悪感を感じて何回か病んだ。
しかし調査を続けるうちに、「遊びかどうかを決める境目」が、何となく見えてきた。
僕が見つけた境目とは何か。
それは「具体的な実行計画案まで落とし込めているかどうか」だ(当たり前すぎる結論で申し訳ない)。
具体的な実行計画案とは
・なぜその調査をしたのか、見つけた技術がどのようなものなのか、に対する説明があって
・その分野に当社製品を投入/応用すればどうなるのかの予測があって
・どのように投入/応用するか、の第1歩目の具体的な進め方(実験スキームなど)があって
・予測されるリスク(試薬の危険有害性など)が挙げられていて
・先行他社の状況(特許など)が調べられていて
・リスクや先行他社に対する対応策が述べられていて
・↑のすべての項が初心者でも理解できる分かりやすさである
そういった文章だ。イメージとしては企画書に近い。
あくまでn=1の体験談に過ぎないが、↑の実行計画案を持って上司とディスカッションに及ぶと、たいがいは実行計画案に記した「第1歩目の具体的な進め方」に沿って動くようになり、「調査の結果、何も進みませんでした」にはならなくなった。
また、上司の反応も心なしか良くなり、調査能力に好印象を持ってくださるようになった(これに関しては偏見が8割くらい入っている。根拠の一環としてここに書いたものの、体中がむず痒い)。
具体的な実行計画案を作るうえで痛感したのは「調べ物の8割はつまらない」ということだ。
どんな分野/技術を調べたのか、は面白い。
分野/技術の説明、具体的な進め方、これらを書くのもまだ面白い方。
先行他社の調査となると、つまらなさが急増し、予測されるリスクまで来ると、正直苦痛しかなかった。
僕の場合、実験系を考案することが多いのだが、使うサンプルや試薬の危険有害性をチェックし、リスクアセスまでやる必要があることに気づいた。
使う薬品のSDSを取り寄せてGHS表示と適用法令を確認し、新規薬品を取り扱う際の教育を受け、リスクアセス評価を行うExcelシートを準備して...。
新規薬品の取扱い教育の手配は、会議室の予約から全部自分で手配せねばならないし、リスクアセス評価に打ち込む項目だけでもシートあたり100近くある。
更には教育記録を作成、リスクアセスシートと一緒に印刷して、係長-課長-所長の印鑑を貰いに行かねばならない。
また、先行他社の調査も、難しくて地味だ。
僕は先行他社の情報を、主に「市場シェアと代表製品」「特許」の2点から調査しているが、
市場シェアに関しては、一回の平社員が手に入れられる情報だけでは調べるのに限界がある。
特許に関しては、検索キーワードの使い方一つで検索結果が全く異なったり、題名だけでは判別できなくて内容にも目を通して解読する必要もあり...。
1日100件の特許を読んだときは、疲れ目でコンタクトが目から剥がれ落ちてしまった。
こういった下準備があってこそ、上司の元まで持っていける実行計画案ができるのだと、身をもって感じた。
興味のある事だけを調べていては「調査業務」とは言えない、と。
僕なりの「仕事」の定義の1つに、「面白くないこともやる」がある。
価値観の違いから、他者から見た「面白い」「役に立つ」は、自分にとっては「面白くない」に相当する場合が非常に多い。
この「面白くない」までやり通してこそ、やっていることが初めて「仕事」になる。
これが、僕が調査業務を通して学んだことだ。
コメント