企業の研究者において大切となる能力の1つは「自分から勉強できる力」だと感じている。
僕は暇な時に勉強ができない。
どうしても他の関心事(99%が陸上短距離のトレーニング)に目が行ってしまい、貴重な時間を無駄にしている。
そして、節目節目で、漠然とした「やらなきゃいけないこと」が堆積するのを感じて、「勉強せんとまずいなぁ」と胸が締め付けられるのだけど、鬱屈した気分になるだけで動き出せず、日々の雑務を消化して誤魔化している。
先日、同期と研究のディスカッションをした。
僕が異動する先のチームに所属する彼と、今後の開発方針について話し合ったのだが、彼の知識の豊富さに驚いた。
彼は移動してきて1年強しか経っていないのに、製品に使われている試薬、過去の検討の結果、更には他社の特許まで、全てが頭の中に入っていた。
彼が異動してからどれだけの時間を費やしたのかを考えると、頭が上がらなくなった。
研究開発職は、(すごく悪い言い方をすると)基本的に暇である。
営業みたいに月ごとのノルマがあるわけではなく、製造部のように突発的対応に追われることも少ない。そして職級が上がるにつれて、仕事を指示される機会が減っていく。
このような環境で成果を出すために求められるのは「必要だと思う事を自分で考えて動けるか」であり、「考えた事を実行に移せる気力」である。
「必要だと自分で考えた事」が、R&Dの成果に結びつく...という思考の妥当性は必要だ。だがそれは、仕事を重ねるうちに自然と身に付いてくる。
少なくとも、入社3~4年経った「若手の中堅どころ」から求められるのは、自分で動こうとする気概だ、と僕は思う。
経験上、この気概を生むのは2種類の精神活動だった
①対象への興味関心
②自分がやらねばという責任感
そしてもっと大事だと感じたのは、動こうとする衝動を実際の動作に結び付ける気力(精神的体力)だ。
この力は体力と同じで、動けば動くだけ増すし、使わなければすぐに衰える。そしてメモリーが存在し、若い頃に鍛えると衰えは遅いし、歳をとってから鍛えようとしても上手く根付かない。
振り返ってみると、僕はまさに「若い頃に鍛えなかったパターン」だった。
学部生の頃は教科書こそ熱心に読みふけっていたものの、課題を見つけて回答を探すという行為をしてこなかった。
大学院に入ってからも、「課題解決のために動く」という意識は希薄で、与えられた課題から芋づる式に論文を引くなりして勉強していた。大事なのは「スタートを切れるかどうか=課題を見つけられるかどうか」であり、スタートが与えられた課題では意味が無かったのだ。
「自分から勉強できる力」とは、単に教科書を読み始めることではない。
むしろカギとなるのは「課題に合った教科書を探すこと」であり、探そうという思いを一歩に変えることだと痛感している。
今の僕のように、「やらなきゃいけないことが漠然と胸を締め付けるけれど、どうにも動き出せない」ようにならないために、若いうちから上記の力を磨いてほしいと切に思う。
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