先日、ブログのコメント欄にて以下のようなご質問を頂いた。
「仕事で新しい知識が必要となった時に、体系的に知識をつけるべきか、それとも付け焼刃的に知識を身に着けるべき(手をかけすぎない)なのか」といった内容で、私自身非常に考えさせられる内容だった。
今でもはっきりとした答えは導けていない。しかし多くの方々が抱える悩みでもあると感じたので、僭越ながら、現時点での私のやり方を以下に示してみる。
私が新しいテーマに着手する際は、まずはその時点で必要な最低限の範囲に絞って勉強をする。先の表現で言えば「付け焼刃的に」知識をつける。そして、ある程度知識が貯まった段階(数字にすると概ね数ヶ月程度)で、基礎項目をある程度体系的に勉強する。
こうする理由は極めて単純で、最初から体系的に勉強しようとしても、「今現在の自分が使いやすい知識」になりにくく、機能しないまま腐る知識群があまりに多くなると実感したからだ。
私は入社して1年間、大学の有機化学の教科書を用いて体系的に勉強をし直した。職場の重合反応で有機化学(らしき反応式)が用いられており、有機化学を勉強する必要性を感じたからだ。
しかし実際には、合計1000ページある教科書の内の50ページほどだけが常用する反応であり、残りの950ページの大半(800ページほど)は、この7年間で1回も使用しなかった。当時勉強した内容は全く覚えていないし、常用している反応の理解の一助にもならなかった。
この経験から、「今の自分が必要としない知識をブロードに取り入れても、その大半は難の養分にもならない」と学び、今の勉強法に変えた。少なくとも、勉強にかかる労力は激減した。あえて数値化すると1/10程度だろうか。手を付ける敷居が下がったので、気軽に勉強できるようになり、不勉強が少しはマシになった。断片的でも知識が入っている事は力になるもので、業務内容が変わっても、変わった先で以前の知識が役に立つことが多かった。
これは考えてみれば当然のことで、一企業の中の研究開発はどこかで必ず繋がっている。コア技術だったりコラボだったりで、前分野での経験・知識が活きるようになっている。知識を完璧に固める必要などなく、少しの知識でも足掛かりとなってくれる。
社会人になると、いかに効率よく万事をカバーするかが加速度的に大切になってくる。やる事は増え、気力体力のリソースは減る一方だからだ。大事なのは衰えを受け入れず気力でカバーしようとするのではなく、こなせなくなってくる自分を前提として、各行動の負荷を少しずつ下げてやるマネジメントの姿勢だと僕は痛感している。
しかしながら、もちろん知識の整理も必須だと感じている。付け焼刃的に押し込むだけだと、その場での実用性はあっても、その後(数ヶ月~年単位)まで使える知識とはなりづらい。僕の経験上、押し込んだ知識を整理しておくと、知識がきちんと定着するだけでなく、整理の段階で理解の誤りにも気づきやすく、良い。
この「知識の整理≒体系的な勉強」は、その案件の潮時(報告会で発表する、実機試作へ移行する...などの段階)において行うことが多い。この場合もハードルを下げるのが大事で、なるべく簡単な教科書を使う場合が殆どだ。そんなに時間をかけてはおらず、1日2日程度で業界紙のまとめコーナーを読み込む程度の時もある。
付け焼刃的ステージと体系的ステージ、これらに共通するキーワードは「中途半端でもよい」ということだろうか。勉強となると、つい完璧主義が顔を出すが、「手を付けられなくてナンボ」「少しでも前進できれば御の字」という加点方式に思考をシフトできるようになった方が良い。実機トラブル、上司の伝達ミス、同僚や部下の報告...そうした要因により突発的に業務が降ってくるようになり、継続的に勉強できる環境からは年々遠ざかるからだ。
勉強方法に四苦八苦している若手の方々の一助になれたら幸いである。
最後に、こんな平凡研究員に真摯なご質問を下さったほへと様に感謝の意を表する。ありがとうございました。
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