先日、当研究所で溶剤漏洩時の対処を行う訓練のリハーサルがあった。
リハーサルといえど、単に台本を読み合わせるだけのもので、緊張感も無いただの音読の集いだ。
事前アナウンスも「実験の予定がない方はなるべく参加するように」との緩さだった。

僕はアナウンスを鵜呑みにして、実験の都合で参加できない旨を上司に報告した。
すると返ってきた答えは「こういうのは仕事よりも安全関係を重視するように」と。
要は釘を刺されたのだ。

おいおい言ってることが違うじゃないか。
しかし上司には逆らえない。
泣く泣く仕込んだ溶液を捨てて、リハーサルに参加した。


企業の研究開発において、「安全」は絶対である。
どんな仕事よりも優先されるべきものであることは言うまでもない。

僕はここを一部勘違いしていた。
「安全が絶対である」とは
・一見どんなに無意味に見えても(馬鹿らしく思える行事であっても)
・その行事をどんなに大事な進捗を生む仕事よりも優先し
・決して周囲(上司の采配)に逆らわないことだと

まさに「参加することに意義がある」、「お前はいるか」的な業務だ。


僕の手掛ける実験は、反応に丸1日かかる。
1つでも今回のような予定が入ったら(たとえ30分のミーティングであっても)、その日は実験できなくなってしまう。
つまりは進捗が生まれない。

しかし、どうやら企業のR&Dというのは、会議だったりミーティングだったり、そうした「人の集まる場」があれば、それを何より優先すべき職場であるようだ。
社会人としては当然のマナーではある。
しかし、企業の未来を創るはずの研究開発がそれに縛られると、身動きが取れなくなって企業衰退を加速させる。


研究が進まない。新しいモノが作りだせない。ウチの会社が衰退してしまう。
...↑の状況に対して疑念を抱くな!、というのが、僕がこの研究所で学んだ事の1つだ。

新しいモノを創り出そうと奮闘する行為は、ある意味組織に波風を立てることになる。
時間をかけようとすると、今回のような意味が薄い集まりは欠席する必要が出てくる。

しかし組織はそうした波風を徹底的に嫌う。
僕は何度も弾き飛ばされた。その中で「新しいモノが生み出せなくても、まあしゃーない」と諦めの境地に達した。

良い表現でいうと「無理をせず、できる時に検討を進める」ということになる。
今回のような状況に柔軟に対応し、研究を進めない選択をするには、「研究内容からある程度距離を置く」のがベターだと感じている。

...単なる愚痴。
この会社、これからどうなるんだろうか(遠い目)



P.S.
断っておきますが、安全は企業活動において何よりも優先すべき事です。
リハーサルであれど、もっと真剣味があり、実際に動くなど実用性があれば、僕も上記の愚痴は生まれ得なかっただろうと思います。
ご安全に!