昨日、英語のリスニングで成功体験をしたという記事を書いた(記事の内容はこちら)。
その中身が陸上競技のトレーニングにも当てはめられそうだ、と感じ、しばらく思考を巡らせていた。閃いた事があったので以下に示す。

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僕は今まで、満遍なく鍛えて強くなろうとするアプローチを取っていた。
youtubeなどで短距離の練習方法を検索すると、大概が膨大な分習練だったり、部位を分割したトレーニングが出てくる。実際にやってみても手応えが薄く、効いているか分からない。とにかく色んな部位を、様々なやり方で鍛え、刺激を入れている。全身を満遍なく鍛えて、総合的に一回り大きくしようというアプローチ。
これこそが正解なのだ、と信じて今まで取り組んできた。

社会人になっても、この「満遍なくアプローチ」を続けた。
しかし、どうにもレベルアップした手応えが無い。全身にベタッとした疲労が張り付いた。ただでさえ無い時間をトレーニングに割くことに嫌気がさしてきた。本当に足が速くなるのか?という疑問が残った。


そして僕が閃いたのは「満遍なく鍛えてレベルアップを図る道は極めてハイリスクなんじゃないか?」ということだ。
量をひたすらに積んでもレベルアップできるのは、心身が保つだけの環境(つまりはその分野に100%の力を注げる環境)にある人だけだ。
その環境に無い人(忙しい社会人など)が、無理やり時間を作って「満遍なく鍛える」側面のみをコピーしたところで、強くなるどころか弱くなるだけ。
弱くなる理由は、満遍なく鍛えた後の回復が間に合わなくなる、集中しているようで集中しきれない、やった事が心身になじむだけの余裕がない...
練習・トレーニングというものは、それを支えるだけの時間的余裕を確保できて初めて効果を発現する。


上記の「満遍なく鍛えるアプローチ」とは逆に「やる事をとことん絞るアプローチ」もある。
いわゆる「効率的にやる」というやつで、その分野・種目に直接つながりそうな要素のみに絞り込んで実施していく。
このアプローチは、効率的と言われる一方で、量が足りないからどこかで頭打ちになる、という声をよく聞く。僕自身も、どこか骨抜きじみたというか、実が詰まってないというか、一種頼りないイメージを抱いていた。

しかし僕は、やるべき事をとことん絞るやり方でも、ある程度まではレベルアップ可能だと今は思っている。
ここでいう「ある程度」とは、自分の潜在能力の大半(8~9割)を引き出せるレベルだ。こう思えるようになったのは、冒頭で触れた英語の成功体験によるところが大きい。


議論したいのは到達確率だ。
満遍なく鍛えるアプローチは、環境を整えられた上位10%はとんでもなく強くなれるが、残り90%は現状維持もしくは退行する、と感じている。
社会人で環境を整えられる(しかも整えられ続ける)のは至難の業で、勤め人である以上はどこかでストレスの割を食う。
至難の業≒1/10と仮定すると、環境を整えられるのが上位10%×至難の業1/10=1/100。
すなわち、社会人が満遍なく鍛えるアプローチを選ぶことは、1%の達人と99人の屍を生む修羅の道だ...と僕は考える(かなり強引な計算だが)。

僕が強く感じるのは、体力も気力も時間もない社会人(サラリーマン)にとってベターな選択肢はとことん絞り込む方だ、ということだ。
満遍なく鍛えて強くなることに成功した時の到達地点が100とすると、やる事をとことん絞ったアプローチでも80~90までは十分に到達可能だと感じている。
ここでパレートの法則(80/20の法則)を当てはめると、20%の主要な要素がパフォーマンスの80%を占める...ということになる。
すなわち、要素をきちんと押さえられる確率を20%とすると、約1/5の確率で能力の80%まで到達できる(これもまた強引な解釈だが、頭の中を整理したいだけなのでご容赦願いたい)。

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100の力を手にする1%の道を選ぶか、80の力を20%の確率で掴める道を選ぶか。
僕は今まで前者一択だったが、心身共にガタが来て、限界に近づいてきた。
そんな自分を労わりつつ、もっと脚を速くするためにも、今後は後者を選んでいきたいと思う。