先日、海外の顧客とwebミーティングをした。
半年前にも同じ方々とミーティングをした。その時は、英語を聞き分けるのに精いっぱいで(しかも聞き分けきれなかった)、ただただ敗北感を感じた。今思い出しても苦い思い出だ。

ところが今回は違った。普通についていけたのだ。話す単語がほぼ聞き分けられて、全体のニュアンスもさっくり理解できた。これは!?と(手前味噌タップリだが)進化を感じた。

6か月前の自分は、TOEICの勉強をひたすら繰り返していた。
勉強時間は平日でも30分~1時間。休日ともなると数時間は没頭していた。毎日脳が擦り切れる寸前まで追い込んでいた。勉強としての負荷はかなり高い部類だった。

それに対して、この6ヶ月でやった事は、朝夕10分間の英語ニュース(CNN)聴取だけだった。
CNNのサイトにアクセスして、毎日1チャプター(2~3分)を、1回聴き流し→字幕で1~2回復習→翌日にもう1回聴き流すだけ。
勉強としての脳への負荷はほぼ無し。ただ英語自体の質は高かった。これを機械的に6ヶ月間繰り返した。

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今回の成功体験(および前回の失敗体験)から、実はこうなんじゃないか?という仮定を得た。
・積み重ねの成果は、気の遠くなる時間をかけてようやく体感できる
・効果を生むのは量よりも質

つまり、(体力気力時間の無い)社会人が行う上達のためのトレーニングにおいては、以下の①~③を守るのが大事なんじゃないかと。
①量は最小限にする
②無理を生じさせない
③とにかく続ける

これは、脳内の活動のみならず、肉体運動を伴う分野(それこそ"トレーニング")にも活かせるんじゃないだろうか。

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【反証】

上記の「ある程度の質の高さの英語」のリスニングをこなすことができたのは、僕の中にある程度の英語力の下地があったから、ともいえる。
すなわち、上記の仮定は、下地のない分野には当てはまらないのではないか?

僕の答えとしては、「質の高さ」をコントロールするしかない、というものだ。
質の高さは絶対的なものではなく相対的なものだ。
大半の高校生にとっては、センター試験(今はもう無いんだっけ?)の教材が「質の高い音源」となり得るし、アメリカ在住の方にはCNNのニュースも質が高いとはいえないだろう。

つまり、今の自分にとって「心地いいけど少しキワキワ」を生み出すものを選択し、効果を生じる最低限の量でこなし続ける。これをスタート地点から行うのが良さそうということだ。

「最小の量で成果が出せる下地が必要」というよりは「最小の量で下地から作っていく」、と表現する方が正しそうだ、と思う。

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僕は趣味で陸上競技の短距離をやっている
今まではガムシャラに量を積み、その結果1年かけても全く足が速くならなかった。
少しばかり量を絞って(それこそ1日に30分とか)、その分質を高めてみようと思う。