昨日、東京五輪で蘇炳添が100mでアジア新(9秒83!!)を出した。

その結果をtwitterで知った翌日(つまり今日)、僕はいつものように坂ダッシュをしに行った。
いつもの坂で、いつものように走る。メインは60mを5本。
最近「脱力した方が上手く走れる」と気づき、ここ数週間は脱力感の定着に勤しんでいた。

しかし今日、蘇炳添の躍進が頭によぎり、別の観点が創出された。
すなわち、「彼ら短距離のプロが何年もかけて何千回と走り込んだ末に到達した『脱力』と、僕が今感じているそれは全くの別物じゃないか?」という気づきだ。

一般に、身体の中心部を使えていると上手く走れている、と思われる。
僕が走り始めたのは高1からだ。当時の種目は中長距離。800mと1500mを専門にしていた。
最初の1年間は、長い距離でも短い距離でも、太ももの表が痛くなった。
その後数年は、短い距離を頑張って走った後は腕に疲労が集中した。
そこから徐々に身体の中心に疲労を感じるようになり、走り始めてから7年後にようやく腹筋の奥に疲労が集中するようになった。
僕が800mで1分台を出せたのと同時期だった。

この時の身体感覚は今でも僕の運動感覚のベースになっていて、短距離走でもこの感覚を引き出した方が走りが良くなると気付いた。
そしてその感覚は、文字通り何年もかけて何千回と走り込んだ末に見出したものだ。

...感覚をどれだけ詳しく聞いて考えたところで、頭の中だけで再現できるものではない。
未熟な僕は、今朝坂ダッシュをしている中でようやくその事実に気付いた。

今までの自分が築いてきた感覚を認め、下地にしたうえで、泥臭く何千回何万回レベルで走り込まないと、短距離のコツというものは見えてこないのだ、と。


これは研究開発にもそのまま当てはめることができると僕は思う。
僕は今の研究部門に配属されて7年弱が経ち、扱っている商材に関してある程度の洞察力を持つに至った。

・使うモノマーの組合せと配合比で、どのような物性と性状になるのか、概ね見当をつけることができる。
・テーマの内容と目標点を聞いて、どの程度実現可能なのかアタリをつけることもできる

これらは今現在の僕が優れているからこそ見出せるものなのだろうか?

違う、断じて違う。

上記の勘所は全て、今の実験室で何度も何度も合成を繰り返したから得られたものだ。
更に掘り下げると、今までの先輩方が見出して形にした処方を少しずついじくり、先輩の指示に従って操作を繰り返したからだ。


つまり、今の僕の力は、実際には「今の僕」の力ではなく、「周囲の環境」と「これまでの自分」の力なのだ。
どんな良い感覚も、どんな良い観点も、今の僕が即座に見つけ出したと自惚れてはいけない。

...思うに、どんな勘所も、その裏にあるのは膨大な量の積み重ねだ。
僕の場合、陸上も研究も、1週間以上の中断無く週5の頻度で3年間続けて、ようやく輪郭がぼやっと見えてきた。
いい所へ収斂してくれたのは6~7年目だ。

僕は人よりも不器用で考えずに物事を進めてしまうため、普通の人であればもう少し短期間で境地に至るのかもしれない。
しかしそれでも、週5の頻度で3~4年は必要だろうと思う。


力がなかなかつかない。今の場所で続けていいのか迷っている。
そんな方々は、週5で3~4年相当続けているのか、まずは自問してほしい。
答えを出すのはそれからでも遅くはない、と思う。