研究開発に身を置いていると、年次が上がる毎に、製造部署との距離が近くなる。
僕の場合、入社1年目はほぼ接点がなかったが、入社2年目の品質改善を皮切りに、週に1回はやり取りをするようになった。
僕の部署の課長などは、毎週1回は生産会議に出席し、製造部の方々のアツいご意見を浴びて帰ってくる。

製造部は良くも悪くも荒くれものが揃っている。
そんな中でうまくやっていくには、彼らが求める人物像にできる限りなりきるのが大事だ


製造が研究開発者に求めるのは「面倒な規格事を全部整備してくれる人」だ。

製造の責務は「設計通りのモノを設計通りに、滞りなく作り続ける」こと。
研究から渡された処方をトレースするのが仕事であり、トレースするために複数のパラメータ―を必要とする。

彼らはパラメーターを決めようがないし、製造時にはじき出されたパラメーターから異変を読み取るなんてファインプレーはできない。
むしろ彼らはパラメーターありきで考える。パラメータ―が規格範囲内に納まるように、勝手に処方を変更したりする。

そのため、新製品立上げに当たってのパラメータ―の規格は非常に重要となるのだが、研究者はこの手の話がどうしても頭から抜けがちになる。
どこまでが研究の責任で、どこからが製造の責任となるかの線引きが、どこもぼやっとしているためだ


企業の研究開発とアカデミックの研究との相違点の1つとして「古いモノの面倒も見なくてはいけない」ということがある。

僕自身、アカデミックでは常に新しいサンプルを作製していた。
過去の検討に使用したサンプルも、一応植え継いで(当時の僕は植物専攻だった)はいたのだけど、その管理も正直ずさんだった。

この意識で研究開発者になったところ、最初の数年間はえらい目にあった。

自分がどの検討を手掛けたのか、頭から抜いてはいけない。
数年前に検討が終わった(製品となった)モノについて、製造から問い合わせがくる。こんなのは日常茶飯事だ。
アカデミックにいた頃は、頭のメモリを節約するために、過去の検討内容はなるべく忘れるようにしていたが、それではいけなくなった。

今でも、当時の検討内容がどんなで、どんな結果が得られたのか、思い出せなくなる時がある。
頭に入れんといけんなぁ、とつくづく思う。


メーカーでの大原則は「モノを実際に作っている所が一番偉い」ということだ。
これは特に営業に行ったら痛感する事らしい。
彼らは自分ではモノを創り出すことができない
だからこそ、Excelのシート上に積まれた膨大な数字に遅滞なく応えてくれる製造への有難さをひしひしと感じるのだそうだ。

この観点は、僕ら研究開発員も持っておかねばならないものだと思う。
ともすると研究所員は、製造部を「ただ機械を動かすだけ」だと軽く見てしまう。
しかし、彼らの仕事に対する誇りは、ともすると研究開発よりも数倍アツい。
長年勤めている方がオラオラ的なのは、仕事への熱意があふれ出た一つの粋なのでは、と感じる。


しかしながらオラオラはオラオラだ。
荒くれものの製造部員とうまくやっていくには、良くも悪くも「彼らを立てて、彼らの面倒事を進んで解決する研究開発者」の皮を被らねばならない、と思う。