当社では、月に1回、研究テーマの進捗を各部署に報告する「月例報告」が開催される。
僕は入社して6ヶ月で、初の月例報告を任された。6年前の話だ。
発表自体は大学院で慣れていたので、スライドの作成・当日の発表含め上手くいった。
しかし厄介だったのが、発表後の他部署からの質問だった。
「前回の検討の銘柄とはどう違うの?」
そう、僕が発表したテーマは続き物であり、過去の検討経緯が山のように蓄積されていたのだ。
入社して半年足らずの僕が分かるわけもなく、同じチームの先輩に「どう違うのですかね?」とヘルプを仰ごうとした。
しかし、声が出なかった。
強い気後れを感じたからだ。
僕は当時「与えられた作業さえできていればいい」という考えだった。
コミュニケーションが苦手だったこともあり、先輩とは極力話さないようにしてしまっていた。
よそよそしい態度だったので、心が通い合っているとは全く言えず、頼る頼られるなどやったこともなかった。
実際、作業自体は一人でこなせたので、「窮地に追い込まれることなど無い」と思いあがっていた。
しかし、月例報告の壇上で窮地に陥った瞬間、あまりに甘すぎる考えだと思い知った。
先輩と仲良くしてこなかった自分は、壇上でヘルプを求めていい立場にはないことを実感した。
だから強い気後れを感じ、声が出なくなってしまったのだ。
昨日、同じような状況を僕は目の当たりにした。
月例報告にて、入社2年目の後輩が同じような質問をされていた。
その子は先輩に「○○はどういうことなんですかね?」と壇上から尋ねていた。
その子も僕と同じく、最低限のコミュニケーション以外は取ろうとしていない。
これから先、果たして周囲と会話するようになるのか。
周りと打ち解けて、一人の社会人として仕事をこなせるようになるのか...と、先輩方みんなが頭を抱えている。
そんな彼の振る舞いに対して、月例会議にて僕が抱いた正直な感想を書く。
「普段は会話しようとしないのに、自分が困った時だけ先輩に助けを求めるのか。」というものだ。
過去に同様の過ちをしでかした自分でさえ、上記のどす黒い感情を抱いてしまったのだ。
あの場にいた方々の多くは、思う所・感じるものがあったに違いないと想像する。
やはり、「ヘルプを出しても許される立場」「ヘルプを出すに足る信頼関係」というものは存在する、と僕は強く感じている。
仕事では、いつか必ず「自分一人ではどうにもならない事」に遭遇する。
そうした時に命綱となるのは、自分とは別の力を持つ誰かの助けだ。
助けてくれるのは、つっけんどんな上司かもしれないし、休憩室でだべってばかりいる先輩かもしれない。
自分の好む好まないに関わらず、ある人の助けを借りる時は必ず来るのだ。
研究所レベルの規模だと、そこにいる全員から1回は必ず助けをもらう、くらいの心持ちでいた方が良い。
僕自身は、50人規模の研究所にいるが、そのうち8割強の方々とは何らかの形で関わり、助けてもらった。
いざ助けをもらう段階で「そういえば、自分はこの方と何も気持ちを共有してこなかったな...」と後悔するようではいけない。
「助けをもらう前に、助けの声を出すことが許される立場にいること」は、社会人のマナーだ(と僕は思っている)。
その立場に着くには、その方と普段から柔らかくやりとりをし、少しでもいいから心を通い合わせておくことが不可欠だ。
そして、先輩がしんどい事を抱えていたら肩代わりをするのもマナーだ(と僕は思っている)。
後輩に声掛けをするのは、想像以上に体力と気力を使う。
これは僕が実践して感じたことだが、毎回話題を振って話を促すのは、場合によっては全力疾走よりもシンドイ。
できるならば、後輩の方から積極的に話しかけてほしい。
喜ばない先輩などいないと僕は確信している。
そして、その行いが1年後の自分を救うとも、僕は胸を張って言いたい。
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