地元採用で入った高卒の若手君が、周囲と話をしようとせず困っている。
若手君は、先輩が降った話題に対して答えはするが、自分から話すことは殆どない。
先輩方がどれだけ気を遣っているか裏で聞いている僕としては「お前、どれだけ先輩にしんどい思いさせるねん。お前から話に行けよ」とつい思ってしまう。
そして「今どきの子は先輩の気持ちも汲めず、コミュニケーションもろくに取れない軟弱者か」と吐き捨てる思いになってしまう。

しかし我に返って振り替えてみると、これは僕が「老害」と蔑んできた姿勢そのものだと気付いた。
「絶対にこうはなりたくない。若者は~と決めつけるスタンスは取らないぞ!」と意気込んでいたにもかかわらず、老害に陥ってしまった。

思うに、人は同世代以外の年齢層の人を攻撃(もしくは排除?)したがる性質があるのかもしれない。
どんな世代の相手に対しても、その世代のステレオタイプに当てはめてマイナスの判断を下してしまうのだ。


しかし、世代の新陳代謝が進むにつれて、研究開発のやり方が大きく変わっているのもまた事実だ
この研究所に入って7年目になるが、一番大きく変わった点は時間感覚だ。
7年前と比べると、最近の流行りを受けてか、時短で成果を出す流れが強くなった。

具体例の1つとしては、残業時間に強い制限がかかったことだ。
残業というマンパワー頼りの戦略が無くなった良い点もあるが、残業が出来なくなった事で不具合も出てきた。

その一つが研究結果の報告書だ。
結果をまとめるのには時間がかかる。他に進めなければいけない案件も多い。でも残業はできない。
上司も「報告書にまとめてね」とはなかなか言えなくなる。強制力がなくなった結果、誰も報告書を書かなくなった。
今は研究員が検討内容を覚えているからいいが、10年20年経ってメンバーが入れ替わった際、知見を引き継げる土台があるのか、僕は非常に心配だ。


思うに、どの時代にも不変で大切な「仕事の進め方のコア」がある。
先ほどの例で言うと「適度な残業」だ。
過度の残業はよろしくないが、かといって17時きっかりに全員が定時ダッシュする職場も何か違うと個人的に思っている。
知見を貯めるにはある程度のオーバーワークは絶対に必要で、要は個人がその時間を確保する(アフター5を多少犠牲にする)勇気があるか。

他に自分たちが切ってしまいそうな要素は「コミュニケーション」だと感じている。
テキストベースで解決しようとしてしまうと、行間を汲めず、仕事に含み"が出ない。
非科学的な表現でアレだが、直のやり取りは、実際に口にした内容を遥かに上回る燃料をもたらしてくれる。

・「あれ?何か疑問に思ってない?」という発見
・「反応が良くないな...口ではOKと言ってるけど、何か取りこぼしがあるのか?」という思考
・「喜んでくれた。この人の為に頑張ろう!」というモチベーション

とりわけ研究開発においては、そういった"含み"が、アイデアを引出し、繋げ、膨らませる。
ブレストを対面でやるのはそういった理由からだと感じている。

最後に。
今の世代を攻撃しすぎず、かつ不変のコアを残すにはどうすればいいのか。
あまりに壮大なテーマで答えは出ていないが、「自分が働く中で感じた信念を下の世代に勇気をもって伝える」事しかないと感じている。
「俺たちはこうしたから上手くいった。だからお前らもこうしろ!」というのは、傍から見れば老害でしかない。
しかし、信頼関係を十分に築き、言い方に細心の注意を払えば、その集団の中では受入られる(かもしれない)。
要は、伝えたい人にとって老害でなければいいのだ。
 
それぞれの世代に、それぞれの信念がある。
僕たちが力を注ぐべきなのは、単なる攻撃ではなく、それらの信念が悪い方向に行かないように注意深く観察し、細心の注意を払って修正しようとする心遣いだと思っている。