7年間も同じ所で働き続けていると、必要実験数の最低量が分かるようになってしまう。

僕は初めて、サンプル塗膜の硬度試験を行うことになった。
僕が手を動かすのは初めての実験だが、先任者がいて、過去のデータがexcelファイルに纏められていた。
そのファイルを見て、サンプルの調製のやり方、使う基材と硬化条件、装置の運転方法などを見取った。
その時点で「サンプルは○○個あれば、一回の実験で見たい結果が得られるな」と分かってしまった。


これはある意味進歩だ。
今の研究所にいる方々が見たい結果、今の上司が求める(であろう)結果を、ある程度過不足なく見積もる事が出来る。
非常に"効率的"に研究を進められる。

しかしその一方で感じるのは「蓄えの無さ」だ。
思わぬところから発見が生まれるのが真の研究活動だ(と僕は思う)。
過不足のない数の結果からは、予想した範囲の結果しか生まれ得ない。
最初に「○○個のサンプルでいい」と決めてかかってしまうと、思わぬ発見がしにくくなる。
長期的に考えると、結構な損失だ。


しかし、敢えて「何も得られないであろうサンプル」を追加するのは、想像以上に勇気が要る。
誰しも無駄な時間を過ごしたくないし、できるだけ楽をしたい。

そして、僕自身と周囲の方々を7年間観察して感じるのは「研究で遊ぶには向き不向きがある」ということだ。

僕の以前の上司は、遊ぶのが抜群に上手かった。
息を吐くように追加の実験を考案し、楽々と操作をこなし、当初の想定の2倍3倍の結果を取ってきた。
手を動かしながら学ぶのが大好きで、家に帰っても「息抜きがてら」プログラム言語を独習し、子供をあやすプログラムを作成したそうだ。
そんな人だ。

一方で、僕は遊びの才能が皆無だ。
事前に計画し、逸れが無いようスピーディーにこなすのは得意。その裏返しだ。
何を遊びに放り込むかを決める段階で、全くアイデアが出てこない。
向いてないな、と我ながら呆れるほど遊び心が無い。

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ではどうすればいいのか。
今の僕が考えているのは「自分が得意だと思うフィールドで遊びを入れてみる」という一種の妥協策だ。

僕の場合、文章を書いたり読んだりするのが好きだ。
なので、実験の結果を小まめに報告書に纏めたり、業界雑誌を読んだりするようにしている。
他にやっている人は見当たらないし、僕にとっては「こんなに遊んでていいのか...?」と少々不安になるレベル。
一朝一夕には結果が出ないが、数年後に誰かの仕事が少しでも楽になればいいな、という気持ちで取り組んでいる。


他にも、僕が「この人の遊びは役に立ってるな」と強く感じるのは、DIYをする同僚だ。
3Dプリンターを事業所に導入→壊れた器具の代替スタンドを自作したり、電話線を張り替えて子機の数を増やしたり。
本人曰く「楽しいからやっている」そうだが、工作作業が大の苦手な僕からすれば、追加賃金をもらえるレベルの重労働だと感じる。


どこか得意な分野で、必要最低限から一歩だけ踏み出してみる。
その積み重ねが、いつか強力なシードを生んでくれるんじゃないかと信じている。