研究開発における僕の一番のモチベーションは「文章にまとめること」だ。


僕の研究所では、検討が一区切りした段階で、それまでの結果を文章にまとめる「研報」という仕組みがある。
論文(研究室でいう卒論修論)の縮小バージョン、といえば分かってもらえるだろうか。

僕はこの研報を書くのが何より好きだ。
書く題材さえあれば、文字通り1日中デスクに張り付いていられる。
完成版に到達するのが待ち遠しく、検討結果そのものから表のレイアウトに至るまで、全ての体裁を整えたくてウズウズする。

実験データが溜まってきたら、逐一研報の形に書き起こしてしまう。
昨年度の当研究所の研報の半分は僕が書いた。
それだけ、研報へ対する僕のモチベーションは高い。
僕は実験が基本的に嫌いだ(というか面倒くさい)が、研報を書くためにやる実験であれば全く苦ではない。


一方で、変に格好をつけてしまうと、モチベーションはダダ下がりになる。
例えば、「僕も総合職だし、10年先のビジョンを見据えて新製品を考えよう!キリッ」とかやり出すと、途端にサボり癖が出てしまう。
やる事が無い時は暇だと感じてしまうし、その暇な時間を仕事や勉強に充てる事が出来なくなる。
どうにかしようと頑張ってはみたものの、分かったのは「どうにもならない」という事実だった。


...長らく僕を阻んできたものは「総合職だから、もっと崇高なモチベーションで仕事をしないといけない」という固定観念だった。
今も僕を阻み続けている。
業界雑誌を読まなくちゃいけないな、ユーザーの要望を考えないといけないな...と。
でも、そう思えば思うほど、暇な時間をサボりに使ってしまう。


人の性質は変える事はできない、と僕は強く感じる。
ごくまれに「大人になってからでも変わる事が出来た」という人がいるが、それは隠された資質が発掘されただけで、根本的な部分は何も変わっていないんじゃないかと考えている。


であるならば、等身大の自分の欲求を活かす形で仕事に取り組むのが、一番成果が出る。
僕であれば、研報を書く事を第一に考える、という戦略だ。


事実、研報を書き上げる中で、データの不足に気付く事が良くある。
顧客に提出するデータに不備があり、間一髪でデータ回収の実験を入れる事が出来たケースもあった。
また、研報を書きたいという思いが、新しいテーマ・追加の実験へのフットワークを軽くしてくれる。
以前だったら苦行でしかなかった1年間の貯蔵安定性試験も、それをネタに研報を書けると分かるや否や、追加で2件仕込むことができた。


少なくとも、研報を書くことによるモチベーションを否定していた時よりは、生産的になれている。


どんな形であれ、業務につながるモチベーションとなる思いや行動があるのであれば、それを前面に押し出すのを僕はおススメする。
特に企業の研究開発は、暇をうまく乗りこなす力が何より求められる。

モチベーションが無ければ、暇は苦痛でしかない。
暇を乗りこなすことが出来る熱意は、自分の根本的な部分からしか沸いてこない。