企業の研究開発で一番楽しい瞬間の1つは「同僚とあーだこーだと議論しながら新しい素材を試す時」だと思う

今日、ある顧客から「この素材を使ってみては?」とサンプルを頂いた。
頂いたサンプル素材は、樹脂に混ぜて分散性を良くする薬剤の類だった。
顧客との取り決めは「その素材を使って試作品を作り、良いモノができれば先方へ送ってみる」というもの。
その素材はこれまで触ったことがなく、手を出すのが億劫だった。

しかし触ってみないことには始まらない。
意を決して、実験パートナーと「あの素材、そろそろ手を付けるかぁ」と(嫌々)実験を始めた。

その素材は扱いにくいシロモノだった。
まず粘度が高い。おかげで樹脂に混ぜる段階から一苦労。
しかも熱をかけるとすぐ固まる。なので従来の製法(加熱して樹脂を分散させる→溶剤を揮発させる)が使えないことが判明した。


「熱をかけないと溶剤が揮発しないぞ」「溶剤が残っていてもお客さんは試作品をテストしてくれるだろうか?」「まずどうやって混ぜようか」
こんな風に、作り方からお客さんの好みまで、ありとあらゆる事を実験パートナーと議論した。フラスコの前で。
井戸端会議ならぬフラスコ前会議を1日中開いていた。

その日の終わりには、試作品の1つを(なんとか)形にすることができた。
一番強く感じたのは、「その場で打ち合わせながらモノを形にしていく楽しさ」であり、今までにないやりがいがそこにはあった。


大学の研究は、完全な個人プレーだった。
指導教官や先輩はいたが、テーマは完全に個人の物で、運命を共にする共同作業者はいなかった。
極論すれば、僕の研究が1mmたりとも進まずとも、教授も先輩もクビになるわけではない。
彼らの本質的な部分は傷つかない。

しかし企業の研究開発では、テーマは基本的にチームのものだ。
テーマが行き詰れば、責任を問われるし、万が一だがクビになる可能性すらある。
なので、同じチームであれば、AさんもBさんも同じように責任を感じ、良いモノができたときは同じように嬉しい。
とりわけ上手くいかなかったときは、どうにかせねばという焦りが駆動力となり、会話が促進され、ある種の高揚感さえ生まれる。


無論、複数人で働くこの状況は、悪影響となる側面もある。
顕著なのが「一人でやりたい時」だ。
自分のリズムを崩されるイライラ、逐一情報を声に出して伝えないといけないもどかしさと面倒くささに押しつぶされそうになる。

しかし、一人でやり続けていると、いつの間にか独りになってしまう。
これは僕が6年間のR&D生活で痛感した学びであり、皆さんに何としてもお伝えしたい事だ。

独りだとうまくいかない時に軌道修正ができない。
外力が少ない社会人生活において、これは致命的だ。
実際僕にとっても致命的だった。
僕は社会人生活の前半を一人≒独りで過ごしてしまったが、その時期にやったことは成長に繋がってくれなかった。
独りでどんな努力を重ねたところで、所詮ハムスターが回し車を回すようなものであり、人の手を借りて回し車から出なければならない。
そう気づけたのは、入社して6年間も経ってからだった。

一人の時間があると自分磨きができる。
これは確かに一人で居るメリットだ。
しかし僕は、こうした一人のメリットを少しくらいかなぐり捨てても、みんなでワイワイ言いながら働く方向へシフトする事を奨める。
一人の時間はある意味依存症的な特性があって、無いと生きていけない!と感じてしまうが、無いなら無いなりになんとかなる。身体が順応してくれる。


一人が得意な理系人間が独りに陥らないために、「同僚とあーだこーだと議論しながら試行錯誤を重ねる時間」というのは凄く貴重だと感じている。