新年の業務はいつもの8割運転。
この「世の中の常識」は、研究開発であっても例外ではないようだ。
今年の年始の初業務は、安全祈願と軽いデスクワークだった。座るだけで終わる楽な仕事だった。
次の2日間は、会議と特許の修正。これも座るだけで終わるお仕事だった。
実験は初業務から3日経って初めて手を付けた。
それも小スケールの実験で、早出も残業もしない軽いものだ。
本格的な実験は来週から入る予定で、正月明けのこの1週間はとてものんびりしたものだった。
驚いたことに、他社も(大手でさえ!)新年の業務は徐行運転らしい。
新年が明けてからというもの、取引している大手メーカーがこぞって検討遅延を連絡してきた。
年末には「年始の頭には結果を出すので、そのつもりで準備してほしい」と言っていたはずだが、いざ年始になってみると、なんと1月の末に結果が分かるとのこと。
...当方の事業領域は割と進捗がスローな業界なので、こんな調子でも「ま、待つか」で済んでいる。
しかし、この「年始明けの徐行運転期間」は思った以上に大切なようだ。
長期間働き詰めで身に刻み込まれたと思っていた日常操作でさえも、正月明けにはスムースにできなくなっていた。
これまで毎週1回は必ず行っていたフラスコの組立て方を忘れかけていたのには、我ながらビックリした
入社数年目までは、気合と根性でカバーできた記憶があるが、いわゆる「中堅どころ」になってくると、身体も精神も立ち上がりがスローになるのを実感している。
学生時代は、社会人の先輩の「身体がついてこなくなる」「気持ちがついてこなくなる」という声を聞いても、「根性がないなぁ。自分はそうはならないぞ」と慢心していたものだった。
しかし、いざ自分がその年代になると、心身のエンジンを無理やりかけるデメリットが想像以上に大きいことに気付きつつある。
本能的に「ここは無理しない方が良い結果になるな」と分かるのだ。
こればっかりは、その年代になってみないと分からない。
そして、↑の「その年になってみないと分からない」は、とても多くの事に当てはまる。
研究において大事な事は「様々な分野に興味を持ち、その知見を我が領域に繋げるように頭をひねることだ」とよく言われる。
これも、つい最近になってようやく分かりかけてきた。
以前は即時応用ができる同分野の論文ばかり見ていた。
しかし、研究を重ねる中でいいアイデアを出せた時は、決まって「数歩離れた分野の論文を見た時」だった。
研究対象がアクリル系樹脂の時は、同じアクリルを対象とした論文よりも、セルロースだったりポリアミドだったり、別種の樹脂を扱った論文の方が、使える知見が多かった。
これらから僕は、「『自分だけは特別だ』と思い込まないようにする」という学びを得た。
年始明けは張り切りすぎると疲れるし、歳と共に心身がついてこなくなるし、役に立つのは少し離れた分野の論文だ。
「みんなと同じように生きてみる」という視点は、個性が尖った研究者にとっても、思った以上に大切なのかもしれない。
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