先日、研究職の残業に関する意見を目にした。
要約すると「研究職は興味が湧くので自然と残業してしまう」という趣旨で、資料を上司から渡されて初めて嫌々読み出す「サラリーマン的研究職」への非難の色が見えた。
これを見て、僕は結構凹んだ。
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実は僕も「サラリーマン的研究職」そのものだ。
論文や業界雑誌の類は読む気になれない。
空いた時間があれば、自分の研究を文章と表にまとめている。
単に自分のやった事を形にするのが好きだからだ
次にどんなものが作れたらワクワクするのか、そんな事を考えたことは殆ど無い。
仕事が無ければ、定時きっかりに帰る。
筋力トレーニングと英語の勉強をしたいし、美味しい料理を作りたいからだ。
僕の中での序列は、文書仕事≧運動・英語・料理>研究だ。
書いていて恥ずかしい。
研究職なのに、研究対象への興味関心が極めて薄い。
そんな自分に対して「これでいいのか?」と自問し、罪悪感を覚えていた。
しかし、そんな僕でも、少しは興味関心にドライブされているようだ。
例えば今朝、10時までに仕込めばギリギリ定時までに観察が終わる実験があった。
その実験は〆切が決まっておらず、先延ばしも可能な案件だった。
最初は「週初めだし、明日以降ゆるゆるやったらいいや」と社に構えていた。
しかし、先輩の「これどんな結果になるんやろか?」の一言を受けて、僕も結果が見たくて仕方がなくなってきた。
...結局、「結果見たいし、やろう!」と思い立ち、9時45分から大急ぎで仕込みを始め、無事に10時30分に観察を開始できた。
30分ほどサービス残業になってしまったが、後悔は無い。
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ここで言いたいのは「研究職だから興味関心に満ち溢れている」という思い込みが蓋をしていたという事だ。
今朝、パスするはずだった実験に着手できたのは、間違いなく好奇心の現れだった。
そのことに気づいてから、改めて振り返ってみると、このような「ちょっとした好奇心ブースト」が、これまでもちょくちょくあった事に気付いた。
しかし、そのスケールがあまりに小さくて、「興味関心に満ち溢れている研究者」からは程遠いのだと、無意識のうちに判断していたのだ。
自覚できたはずの長所を認識できずに切り捨ててしまうのは、自立して働かざるを得ない社会人にとって、非常に危険だと思う。
僕は「サラリーマン的研究職」であってもいいと思うし、興味が湧かなくても無理に湧かせようとする必要は無いと思う。
その人なりの「研究の形」というものがあって、その人なりの「興味関心に突き動かされる瞬間」がある(それが皆無だとしたら、研究開発に限らずどんな職業でも長続きしない)。
それを他人に押し付けない限りは(冒頭に述べた意見では、サラリーマン的研究職の方が『残業するな』と注意したらしい。これは正直濃い目のグレーゾーンだと思う)
...企業の研究開発において大事なのは、好奇心よりも「言われたことをきちんとやろうとする誠実さ」だと思う。
完全に一個人の無配慮な意見でしかないので、スルーしてもらってほしい。
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