この前、研究サイドで検討していた製品が、安定的に製造できる段階に入った。
そうなると必要になってくるのが、製造サイドへの移管だ。
今回、初めてこの「移管手続き」の一部を任されたが、これが想像以上に厄介だった。

研究サイド→製造サイドへ移管するには、どうやら「移管手続き」というものが必要らしい。
それをすっ飛ばして、口頭で「あー、こっちの検討で良かったんで、移管して良さそうですよ~」と安易に口走ってしまうとのちに問題が生じた際、責任を問われることになる。

なので、どこかの部署の誰かが「移管してヨシ」という判断を正式に下す必要がある。
しかし、研究も製造も、責任を取りたくないので、その判断を言い出したがらない。

そのような中で下っ端が判断を仰ぐには、「責任の所在をできる限り曖昧にしたまま、どちらかの部署のトップが判断を下すのを待つ」という、火中の栗をアチチアチチと言いながらキャッチボールするような器用さが求められるのだ。


しかし僕は、上記のやり方を知らず、製造サイドの係長(もちろん判断を下す権限などない)に直接メールをぶん投げてしまった。
その係長は現場叩き上げの強面。ぶん投げに腹を立て、「なんでワシにぶん投げたんや?」と詰め寄られた。

とても怖かった

メールを送る際は(とりあえず製造の現場に一番近い方にメール投げときゃOKだろ...)と軽く考えていたが、そんな軽い話ではなかったのだ。
「誰が権限を持っているのか」「その人にどうアプローチすれば良さそうなのか」という人間関係の力学を考慮すべきだったのだ。

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...このような「責任を曖昧にして投げ続ける」やり方は、移管手続きに限らず、多くの仕事に共通する手法だ。
非効率的&非合理的であり、答えが出るのに時間がかかる。
理系的ではなく文系的なやり方だと思う。

しかし、研究開発においてすら、この文系的なやり方、もっと言ってしまうと「文系的な働き方」の方がスタンダードなのだと、研究開発部門に身を置く中で気づいた。


品質をひたすら追求する「物ベース」なモノづくりよりも、ユーザーの需要を的確にヒアリングし、そこに向けて設計する「人ベース」のモノづくり...これに似ている


Aと答えるべきところでAと答えるのではなく、あえてBとかCとか答えて、回答は出ないが穏便に事が済むように配慮する働き方だ。
肌感覚だが、理系的な働き方と文系的な働き方の比率は、当研究所では2/8といったところだ。
これまでに、Aと答えるべき時に正直にAと言い切って、痛い目を見た経験は数知れない

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では、この「人間関係の力学を考慮した手法」は、どのようにして学べるのか
月並みだが「上司や先輩に教えを請いて、やっているやり方を真似する」に尽きる。

前記した移管手続きでは、職場の先輩に「どうやってメールしたら良かったんですかね?」と質問すると、「あ~、そういう場合は、メールの宛先に関係者を全員突っ込んで、誰かが返事するのを待っておけばいいんだよ」とアドバイスをもらった。
次に送るメールをその通りにしたところ、何とか穏便に移管手続きを進める事ができた。


ただ、歳を重ねてから学んだ事は、どこか硬直的・直線的で、応用性に欠けると感じる。
次に似たような状況が訪れた時、穏便に進めることができるのか、僕には自信がない。

思うのは、「物事を吸収しやすい若年の間に、もっと人間関係の力学を深く学んでおくべきだった」ということだ
研究室の先生や先輩と関わる、実験室の器具の責任者になる、学会の企画運営に片足を突っ込んでみる...こうした「直接的な研究活動ではないが、円滑な研究に関わる作業」に、もっと労力を割くべきだった。


研究を深めることだけが研究室の意義ではなく、むしろ研究の外に落ちているものの方に価値が生まれることすらある、と思う。