僕は仕事と割り切って研究開発をしている。
新しいモノをつくる研究開発の仕事は、そこそこ面白い。
しかし、僕のしているのはどちらかと言えば「造る」であり、「創る」ではない。
頭をひねって斬新なアイデアに輪郭を与えるクリエイターではなく、今ある製品を少しだけいじくってMK-IIにする焼き直し職人だ。
ある意味仕事と割り切らないとできない地味な作業だが、僕は今の仕事になかなか満足している。
仕事だから、気の進まないこともしなくちゃいけない。
「こんなこと、必要ないだろう」と思ってしまう事でも、上司から振られたら死んでもこなす。
例えば、サンプルをひたすら分析しつづけるだけの貯蔵試験。
1年間実験し続けた結果が「品質に問題なし」という一文のみ。
仕込みの段階からクソ面倒くさいし、条件振りした追加サンプルが後から山のように追加される。
最終的に1ヶ月のうち5日は、この試験のルーチン分析のためだけに時間を割かれる羽目になる。
...まあ面倒くさい。でもやらなきゃお客さんの信用を失う。だからやるしかない。
気の進まないことは本当にやりたくない。
僕はお客さんとの商談が得意ではない。
しかし昨今のweb面談の流行りで、却って商談が手軽にできるようになってしまった。
この前は某国の方と面談したのだが、某国らしく甲高い声で2時間まくしたてられ、キレそうになった(某国、というのは察してください)。
他にもミーティングやら会議やら、時間泥棒が至る所にいる。
僕は意義の感じられないことはやりたくない。でもやらなきゃいけない。仕事だからだ。
僕の回りの方々も、ほぼ全員が「業務」として割り切っている。ように見える。
面白さを感じている人もいるが、それも"いつも・どこでも"というわけではなく、雑務をしている時は目が死んでいたり、打合せ時はげんなりしていたり。
少なくとも熱意が溢れる職場ではない。
研究開発は会社の一組織である以上、誰しもがどこかで「やりたくない」と闘っている。
でも、僕が思うのは、「一見「やりたくないな」と思う事にこそ、本当に役立つ発見が眠っている」ということだ
例えばさっき話した貯蔵試験。
条件振りしたサンプルが計10系統まで膨れ上がってしまったが、どの試薬が品質劣化を引き起こすのか、どれだけの量で品質が改善されるのか、この目とこの手で変化を直接見ることが出来た。
これは研究者として得難い経験であるし、何よりとても面白かった。
サンプルの粘度が日に日に低くなっていく、その様子を間近で見ることが出来たのは至高の体験だった。
もちろん「やりたい」と思う事にも良いモノは眠っているが、「やりたくない」の中から拾い上げた知見は、量質ともに勝る。ように感じる。
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割り切って半ば惰性で研究をするのも、思ったよりも悪くない。
流され流れに乗る中で、いつの間にか想像もしていなかった場所に流れ着いている。
そうしてできたモノを手に取る瞬間は、まあ悪くない。
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