この数週間、またしても怒涛の仕事量(当社比)だった。
前に述べたとおり、R&Dは暇と忙しさが交互にやってくる。それも規則正しく。
...というわけで、忙しさの波が去った今は、(比較的)暇だ。だからブログを書けるだけの心的余裕がある。



怒涛の数週間も、終わってみると「案外何とかなるものなんだな」という感想だった。
沖縄の方言で「なんくるないさ」。ぼくの好きな言葉だ。

前回忙しくなった時も、終わってみると同じ余韻が残った。
ただ、前回も今回も、仕事中はそのように考える余裕などなく、目の前の仕事を捌くのに手いっぱいだった。


しかし今回は、前回と比べて「仕事が終わらなかったらどうしよう」と不安に堕ちる頻度は少なくなった。
少なくとも、夜に眠れなくなることはなかったし(寝つきが極端に悪くなったのは相変わらずだったが)、仕事中にキレかける事も少なくなった。

忙しさに飲まれそうになった時に、意識的に「何とかなるだろう」と思ったのもあるし、前回の経験で「手を動かしていれば何とかなる」という楽観が腹落ちできたのも大きかった。

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そう、手を動かしてさえいれば、何とかなるのだ!
なぜかというと、失敗しても、失敗からデータが得られ、次への手掛かりとできるからだ。必ずと言っていいほど、何かが分かる。

ここで強調しておきたいのは、「手がかりが得られないなんてことはない」という自信だ。
これも不思議なもので、行き詰ると必ず"火事場の馬鹿力"が出てきて、手がかり(らしきもの)を強制的に引きぬけた。
そして、その「手がかりらしきもの」に縋って手を動かすと、いずれも作ったモノが良くなってくれた。
手がかりらしきものは現に手がかりになるのだ。

また、仮にいいモノが出来なかった時も、いざとなれば上司が顧客に詫びを入れてくれる。
まさに"なんくるないさ"=何とかなるさ、である。

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こうした「手を動かしてさえいれば、何とかなる」という前向きな諦めこそ、研究者に必須のマインドだ。と、実感している。
より正確に言うならば、「折れずに、研究者として少しでも長く生き残っていくためのマインド」だ。

そもそも研究開発とは「新しいモノを創り出す」のが使命。
未知のモノを作り上げるわけだから、当然失敗ありきだし、失敗を導く自然法則に逆らうことなどできない。
結果が出なくて当たり前、なのだ。納期に間に合わなくて当たり前、なのだ。

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...少し言いすぎな気もするが、こういう"学び"は少しくらいオーバーに表現した方がとっつきやすいので、あえて今の自分が思ったままを書き連ねた。

苦しんでいる誰かの一助になれば、これ以上の喜びはありません。


...嘘です、仕事頑張った日の夜に、「今日も頑張ったな~」と思い返しながら食べる夕飯は最高の喜びです。
この数週間、飯はこの上なく美味しかったです。

なんくるないさ。何とかなるさ。