忙しさの波がようやく去ってくれそうで、ほっと一息ついている。

僕は忙しくなるとブログの更新が止まる。仕事に集中したいためだ。
何が言いたいかというと、ここ1~2週間は、忙しさがピークだった。


そして、この忙しさの中、発見したことがある。
それは、僕の一番メンタルを削るのは「仕事の積み残し」だということ。
おそらく多くの方にとっても、やり残した仕事は、喉に刺さった小骨のように、いつまでもジクジクした不快感を与えるだろう。


今回は、まず、週初めに長丁場の実験を2バッジこなして体力が削られた。そのうえ、金曜日に顧客からの急なサンプル依頼を受け、上司からは報告書を3件投げられた。おまけに貯蔵安定性試験のサンプルを20個近く捌かねばならなくなり、連休を前に仕事が山のように積み残された。

勤務時間が過ぎた後も、頭の中で延々と段取りを考えていた。せっかくの連休も「○○を△△して...××日までには終わるだろう」とリフレインが止まらなかった。連休後半になってようやく頭が休日モードになってくれたものの、連休前半は本当に死んだ目をしていた。
仕事の段取りのリフレインは、止めようとしても止まらなかった。


これはある意味慣れるしかなさそうだ。
役職が上がるにつれて、仕事の内容は曖昧となり、期日が短くなり、終わる目途が立てにくくなる。
そんな泥沼の中で、今までのように全ての仕事を捌こうとすると、身が持たない。現にヒラ社員の今ですら、身が持っていない

どうやら、このJTC(Japanese Traditional Company)で生き残るには、曖昧模糊な仕事はそのままの形で扱っていくスキルが求められるようだ。
仕事の脆さ固さに合わせて、持つ手の力感を変える能力、とも言えるし、積み残し・やり残しに罪悪感を抱かない図太さ、とも言える。


完璧主義では管理職の人生を乗り切れないと痛感した。
そして「仕事と程よく距離を置く」事は、頭でやろうとするだけでは全然ダメで、身体に刷り込ませる必要がある類のスキルだと実感した。

つまり、何回も修羅場を潜り抜け、「この仕事が終わらなくても、大きな影響は無いよ」と心身に覚え込ませる必要があるということ。
ラクに生きるために山をこしらえて登るのだ。