僕は副業を考えると、途端にモノを見る目が曇ることに気付いた。


僕は趣味で英語の勉強をしている。...趣味と言いつつ、毎日ルーチンを組んで勉強し、より良い勉強方法を模索している。平日でも1時間弱、休日は2時間は英語に取り組んでいる。人よりは多少時間をかけてやっている。

これだけの時間をつぎ込むからには、何かの役に立てたい。そう思い、英語で副業ができないか調べてみた。すると、ネット上には"英文校正"やら"オンライン添削"やら、面白そうな案件がたくさん転がっていた。

そこで、「よし、英語で副業してみるか!」と思い立ち、そのための技能を向上させようとした。
オンライン添削者の募集要項を読み、必要な資格をピックアップした。添削能力を上げるため、1日1つ英作文を作り→自分で添削する計画を立てた。実験の待ち時間や休憩時間を利用して勉強も始めた。

...すると、本業であるはずの研究開発が、加速度的につまらなく感じ始めた。
反応装置の組立て1つをとっても、今までは丁寧にきれいに組み上げる事自体に面白さを感じていたが、副業を意識してからは、時間がかかる"作業"としか見えなくなった。
顧客へのプレゼンに向けた追加のデータ取りも、「足りない所が分かって助かった。嬉しい。」と感じるのではなく、「面倒くさいなぁ」と感じてしまった。



研究開発における「面白い」は、芽吹いたばかりの新芽のようにか弱い。ビビッドな刺激が頭の片隅にあると、日々の「面白い」はあっという間に駆逐され、ビビッドさが頭の全面を覆い尽くしてしまう。

そして研究開発における"いい仕事"は、日々の「面白い」の新芽を育もうとする姿勢の上に生まれる。この「面白い」は、心の中にいい意味で余白を作る。その余白の中で、研究者はあれこれ手を出し、傾向を見つけ、思わぬ発見をする。


しかし副業を考えてしまうと、日々の繊細な面白さは駆逐され、余白は副業で埋まりきる。僕が副業しようと目論んでいた時は、見えない糸で常に引っ張られている感じがした。とてもじゃないが"余白を楽しむ"なんて緩みはなかった。


僕は、本業は生きていく上での柱だと思っていて、本業を蔑ろにすると、本業以外の全ての面も悪くなると考えている。その理由の一つは、人生の大半を本業に費やすため、そこでの振る舞いが否が応でも人間性に繋がるからだ。

僕は働きながら色々な事をやってきたが、副業だけはR&Dにとってダメだと感じた。モノを見る目が曇り、仕事に心が通わなくなる。

多少の損をしても構わないし、将来への投資ができていなくても構わないので、僕は研究開発というこの本業を大切にしたい。