現在僕は、新技術の確立を検討している。今ある2つの技術を組み合わせて、新しい環境配慮型の製品を造りだす、というコンセプトだ。

この数ヶ月、僕は技術の確立に夢中になった。どうやれば2つの技術が融合してくれるのか?どうやれば美しい製品ができあがってくれるのか?
手数を打つうちに、有効成分を減らすと美しく仕上がる事に気付いた。なので、有効成分を減らす方針でいこう、と考えていた。

そんな折、チーム員とディスカッションする機会があった。今やっている検討が使えそうな分野を考えて話し合った結果、今やろうとしている方針が、売ろうとする分野から遠ざかる方向だと分かってしまった。今は方針を練り直し、有効成分を増やしつつ、最低限度の美しさを保てるような処方を試している。


...さて、ここから学んだ事は何か。それは「方向性を定める適切なタイミング」である。

最初から考えすぎると、そもそも種が育たない。最初は何も考えずにやるのがいい。好奇心の赴くままに手を動かし、種を芽吹かせる。

種が芽吹いてしばらくしたら、方向性を決める段階に入る。キモはこのタイミングだ。ある程度の数をこなし、手法が固まり、技術として確立し始める頃がいい。
技術の確立は終わりがない。ここで「まだ不十分」と、技術を完璧に仕上げる事に没入してしまうと、せっかく芽吹いた芽が日の目を見ずに"もやし"になる。


方向性に答えなど無く、突き進むうちに向かうべき方向が分かってくる。しかし、"鶏が先か卵が先か"よろしく、まずは着火剤として"とりあえずの進む方向"を与えなくてはならない。

分からないなりに方向性をまず定め、それを添木として技術の芽を伸ばす。添木があるから、太陽の下という過酷な環境下にさらす事ができるようになる。陽の光(顧客の注目)を浴び、雨風(ニーズとのギャップ・社内外の批評)に曝される。これでようやく「実用に耐えうる技術、使えるかもしれない技術」になる。


研究者(というより追求者?)に陥りがちなのは、技術が固まりだす快感にハマり、ひたすらに技術の追求に陥ることだ。これだけは断として避けねばならない。
なぜなら、追及を重ねた技術は、実用性から微妙にズレるからだ。このズレは、進めば進むほど大きくなる。しかもこのズレを補正するのは、進みながらでないとできない。


この知見は、研究開発だけでなく、どんなフィールドでも、新しい事を始める際の指針になると感じている。例えば筋力トレーニングでも、最初の数ヶ月は、とにかく反復して「そのトレーニング種目の形」をインプットする。しかしそこから先は、「そのトレーニング種目の形」の磨き上げから、自分の競技に適する力の使い方にシフトする必要がある。スクワットが150kg上がろうとも、速く走れるとは限らない。

何事においても、「新しく着手したことを本業にうまく活かせている人」というのは、方針を適切なタイミングで定めているから。だと思っている。