精神力を使う領域まで踏み込むと、やった事は定着せず、地力がやせ細る。


最近、TOEICの勉強を再開した。
実は半年前までTOEICの勉強をしていたのだけど、コロナの関係で試験が受けられなくなり、半年ほどTOEICから離れていた。その間、5分程度の英語教材(TED-edというネイティブの幼児向けの教材)を聴き流していた。あと、せっかくだから(?)ということで、曖昧だった発音を1からやり直した。

うちの会社では、半年に1回、事業所内でTOEICが受けられる(いわゆる"工場TOEIC")のだけど、それが再開した。これはチャンス、受けようと思い、TOEICの過去問を解き始めた。

最初の数回は、リスニングがクリアに聞こえ、半年間の聴き流し+発音トレーニングの効果をひしひしと感じた。しかしそこから先は、なぜかまたリスニングが不明瞭になり始めた。この半年間に蓄えた力がただ流れ出るだけのような脱力感を感じた。


過去問を解く時は、本番さながらの形式になるので、どうしても集中力をキンキンに使ってしまう。頭の奥が文字通りキンキンする。疲れてしまい、やった問題を頭に刷り込む余力と余白が無くなってしまう。感じたのは"コーヒーでも飲みながらリラックスして解いたら、やった事が思い出されやすくなりそうだ"という事だ。



陸上競技でもそうで、本番さながらに緊張して走った練習は、頭も身体も芯を使ってしまい、力が育まれない実感がある。効果があるのは、精神力をなるべく使わず、かつ適度な速さで走った時。談笑しながらスタートラインにつき、よーいドンの一瞬だけ身体を締めるイメージだ。



インプットとアウトプットにおける力の入れ方は、最適点が大きく異なると感じる。インプットする時は、考えられているよりも2~3段ギアを落としてやるべきだ。できるだけ精神世界の自分に優しく、かつ肉体世界の自分に厳しくしてやる。集中すればするほど良いわけではない。



どんな事においても、かならず最適点は存在する。言い換えれば、陰と陽のバランスがあり、良い面と悪い面の2つが必ずある。これを忘れないようにするだけでも、色んな事が相当良くなると保証する。