巷では「毎日やること」が万能薬のようにもてはやされている。
行動パターンに組み込んで、自動化し、習慣化することで、遥かな高みを目指す、という戦略だ。

しかし僕は、この「毎日やる」という戦略には大きなデメリットがある、と痛感している。
毎日やると"やりたい"という気持ちがやせ細るのだ。
僕は週5程度で朝ランをしている。
休養日の翌日は「走りたいなぁ!」と気持ちが自然と上向きになる。
ところが2日目は、走りに対するワクワクが薄れ、1歩目が重くなる。
3日目ともなると、義務感だけで最初の1歩を踏み出す事が多い。
これはブログにも当てはまって、毎日書いていると、自分でも明らかに文章のキレが落ちる。

とにかく覚え込ませたいのであれば、毎日やる事は必須だ。
やればやるほど神経系は早く適応するので、上達はする。裏を返せば、早く上達したいのであれば、触れる機会を増やす≒毎日やる事が必須だ。
しかし、上達する事が果たして自分の幸せに繋がっているのかどうか、日々確かめる必要がある。

僕の場合、心沸き立つフレッシュさは幸せに暮らすために必須だった。
日課にすると憂鬱感が生まれた。
この憂鬱感は、毎日のQOLを爆下げした。
日課を"消化"するのにエネルギーを使うため、生活が省エネモードになった。
具体的には、人づきあいが散漫になった。冗談を言って楽しむ気力と余裕がなくなったのだ。

逆に、日課を途切らせる怖さを振り切ってきちんと休んだ日は、活力が湧き出て、生きているだけで楽しい。
そして翌日に"日課"を再開すると、休む前とは比べ物にならない躍動感が漲る。

そして、「毎日やる」という戦略は、才能を作るにはむしろ不向きだった。
僕は、才能を創る=新たな尖りを自らの中に造り出す行為の連続だと思っている。
新たな尖りを生むには、今までに使っていない領域を開拓し、使えるようになる必要がある。
そして、未開拓の領域にアクセスするには、心沸き立つフレッシュさが生む勢いが要る。
義務感のみで行う"練習"には、そういった躍動感が皆無なので、才能を創るに至らない。


大人になってからの短距離走など、新たに才能を作りだす必要のある分野では、「毎日やらない」方が良い結果を生んでくれる、と個人的に痛感している。