新撰組副長として有名な「土方歳三」の生涯を描いた歴史小説「燃えよ剣」
前回は、新撰組の絶頂期までを描いた上巻についてレビューしました。

今回は、幕府軍と運命を共にした土方の後年を描いた下巻についてです。

この下巻に描かれた土方の参謀ぶりを観て、思った以上に研究開発に繋がる部分があると感じました。

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○土方は自ら戦地の偵察に赴き、自分の目で確かめた地形を活かして百戦百勝を得た

官軍(新政府軍)が幕府軍を倒す直前、幕府軍に逆風の中、土方のみは連戦連勝を重ねました。
戦は流れに乗った側が絶対的に有利で、それを覆すことは通常は至難の業です
(第二次世界大戦中、装備で大きく劣る日本軍が欧米軍に連勝を重ねた例もあります)

土方が連戦連勝を重ねられた秘訣が、土方自身が斥候となって敵陣付近まで近づき、周囲の地形・敵の人数などを頭に入れる「地形偵察」でした。


 ~歳三の地図は精密なものだ。このあたりを十分踏査して描き、諜報その他によって得た敵の配置を、克明にかき入れてある~
(P147~P148より引用、鳥羽伏見の戦いで官軍と衝突する前夜のシーン)


こうして「実地へ赴き」「自分の目で事実を確かめて」「最適な手を直感する」ことを繰り返しました。

晩年の土方の軍略は「芸」にまで昇華されていました。


~戦さ芸の巧緻さ、決断の早さ、大胆さ、行動の迅速さは三百年父祖代々の食禄生活にあぐらをっかいて、猟官運動にだけ目はしのきく譜代の旗本たちの遠くおよぶところではないとおもった~
(P401より引用、仙台方面へ敗走した幕府軍の中で、土方の強行偵察が功を奏したシーン)


○最先端の軍事学・兵法を学んだ将校は、土方の働きの足元にも及ばなかった

土方と対照的なのが、当時最先端だったヨーロッパの銃砲学を学んだ大鳥圭介です。
大鳥は土方と同格で、幕府軍の副長格でした。

そのため、大鳥と土方は交代で幕府軍の指揮に当たっていました。
が、大鳥は実戦経験に乏しく、被害損失の大小のみに目を奪われ、機運の変化が全く読み取れていませんでした。


~大鳥は、得意であった。大鳥自身まだ弾丸の中をくぐってはいないが、戦はこうも容易なものかと思ったらしい~
(P347より引用、官軍のうち戦意の乏しい小隊に勝利した直後のシーン)


この点、機運を先読みして手を打てた土方とは対照的でした。


○本ばかり読んでも実際的な粘り強さは身につかない

この本では、学問に凝り固まることで粘り強さが無くなるという主張が散りばめられています。


~兵書を読むと、ふしぎに心がおちついてくる。おれは文字には明るくねえが、それでも論語、孟子、十八史略、日本外史などは一通りはおそわってきた。しかしああいうものをなまじいすると、つい自分の信念を自分で岡目八目流にじろじろ看視するようになって、腰のぐらついた人間ができるとおれは悟った~
(P95より引用、時論を論じることに心奪われた近藤勇を苦々しく思うシーン)


この土方の台詞は、とりわけ私の心に響きました。

「学問しすぎると信念が持てなくなる」という主張は、土方の口を借りて、著者が言いたかったことだと感じました。


○研究開発においても、現場での勘所は知識以上に良いモノづくりに直結する

研究力=知識をどれだけつけるか、と考えられがちですが、それ以上に大切なのは感性と粘り強さです。
良いモノが作れるという予感・機運の流れを的確に掴み取り、結果が出ずとも改善と試行を繰り返さねばなりません。

土方の思いと物事への当たり方を視るうちに、勘所の研ぎ澄まし方のヒントが自ずと得られてくる。
「燃えよ剣」を読むうちに、そう感じた次第です。

燃えよ剣(下) (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社
1972-06-19